脱力系ぷかぷかドイツ日記

脱力系ぷかぷかドイツ雑記帳

ヘッセン州の田舎町でデジカメの開発してます

本)みずうみ__よしもとばなな__2005

みずうみ

みずうみ

 

 ずんぶん昔にデビュー作の「キッチン」を読んで感動してから、よしもとばななの小説はいくつか読んでいます。いつも思うけどこの人はあまり文章自体は上手くない。というかあまり練られていないのです。今回も本当にげんなりしながら読みました。作家でもなんでもない私が言うのもおこがましいですが、下手くそだなって(笑) でもいつも最後まで読みます。なぜならこの人はもとより、はっとするような心象描写で読者を引き込むタイプの作家(と勝手に思っているの)で、文章にははなから期待していないからです。

 

 話の筋を簡単にいうと、主人公の女性が昔とある宗教団体に誘拐されたトラウマを抱える男性に恋をします。この男性はほとんど人との接触を絶っているのですが、彼と同じように複雑な家庭環境で育ち親を失くしてひとりぼっちの主人公にだけは次第に心を開いていきます。

 小説の終盤に誘拐された過去をついに彼女に打ち明けるシーンの描写が絶妙で、彼は当時のことを以下のように語ります。

「誘拐されるってどういうことかわかる?誘拐した人たちを好きにならなくちゃいけないんだよ。そうしないと生きていけないんだ。」

 

 彼は子供の頃に誘拐され、さらに記憶を消され、人目につかない土地でその宗教団体と共に瞑想などのトレーニングをしながらあるまとまった期間を過ごしていました。そしてちょっとしたきっかけで自分が誘拐されたことを思い出すと、当然脱走を思い立つのですが、奇妙なことにそこで仲良くなった友達や表面的には優しい大人達を思い浮かべては、皆を裏切る自分はなんて薄情な奴なんだと自分を責めるのです。この部分は人間の弱った心が正常な判断を妨げる様をリアルに描けていると思いました。つまり脱走なんてうまく行きっこないこと、そしてうまくいかなかったら大変なことになるようなことを企んでいる自分を、自分でごまかしてしまうための心の防御反応なのです。

 

 私は特別な事件に巻き込まれなくても誰しもがこのような精神状態に陥る可能性があると思っています。例えばドイツに来る前日系メーカーで働いていた時、高圧的な部長の下に仕える5、6名の課長達は皆いつも終電近くまで残業していました。マネージャが遅くまでいると、当然部署全体が残業体質になります。こんな働き方おかしいって、どうしてどの課長も言い出さないのか。みずうみを読んで、当時感じていた違和感を思い出しました。そんな会社は辞めればいいと言う人もいるでしょう。実際私は辞めました。勢いだけでシンプルに決断できたのでラッキーだったんです。でも課長っていったら皆40歳はとうに過ぎていて転職は難しい立場です。仮に転職できたとしても待遇は確実に下がるでしょう。辞めたら家族はどうなる?自分がもし課長の立場だったら果たして辞める決断ができただろうか?

「自分が辞めたら会社はどうなる?」「いい歳こいて考えるのは自分のことだけ?」「こんなにやりがいのある仕事なのに」「あんなに親身になってくれる部長を裏切るのか?」

 

 読後に一つ思い当たったのは、上記のような言うなれば"社会に誘拐された”人は為す術なく立ちすくむのだろうけれど、そんな時でも体の中に色んな物語のストックがあればあるほどいいのだろう、ということです。誰かに相談なんかするより、病院に行って薬をもらうより、いつか読んだ小説を思い出すことが自分に力をくれることもあるのではないでしょうか。「誘拐されるってどういうことか分かる?」って記憶のどこかのその声が心のなかで響けば、自分が自分でいるための根本的な力が湧いてくるように思います。

 

 インターネットを開けばうんざりするほど文字があふれる今の時代になぜわざわざ小説なんか読んでいるのかふと考えてしまうことがあるけれど、今回ささやかなヒントを得られた気がしました。よしもとばななより文章がうまい小説家は世の中にたくさんいるのにも関わらずファンが多いのはきっと小説の持つ力を彼女自信が信じているからです。

自分らしさって、どんなことだったっけ

 早いものでドイツに来て、もう一年が経とうとしています。これまで心がけていたのは、今日一日の事だけに集中して朝起きてから夜布団に入るまでを駆け抜けるように終えることでした。先のことを考えても良い事なんてないし、慣れない国にいればなおさら不安が募るだけだからです。そして今ふと顔をあげればすぐそこに一年の節目が来ていた、といった具合です。この一年は生活を成り立たせる事に必死で、これといって楽しいこともなかったけれど、振り返ってみて思い出す大失敗もないのは順調なスタートを切れたということかもしれません。先月は無事に車を購入し、移動がずっと楽になりました。ドイツ語がしゃべれる数人の友達のサポートのおかげでなんとか予算内でまともな車を見つける事ができ、本当に感謝です。

 

 仕事も順調で、自分の現状のスキルと照らしてまあまあのパフォーマンスを出せていると思います。一年がかりでようやく一通りのワークフローを経験しましたが、外資系企業で働いている現在は日本企業時代と働き方が大きく異なります。まず一つは、プロジェクトの命運を握っている当事者としての意識を強烈に感じながら働いている点。欧米企業の特徴として各スタッフの役割が明確に定義され、互いの業務にオーバーラップする部分が少ないことがあります。つまり日系企業とは違って互いに助け合う文化が薄く、誰かがふがいない仕事をするとビジネスにダイレクトに影響することもあり得るということを意味します。なので日系出身の私にとっては、日々の何気ない仕事も結構怖いのです(笑)特に日系のパートナー企業との関係は全て私のコミュニケーションに依っていると言っても過言ではないので。でもその一方で誰も自分をカバーしてくれない代わりに、私の仕事にいちいち口出ししてくるうるさいおっさんもいませんが。

 もう一つは自分の存在価値を同僚にアピールするようになった点です。会議に出たら必ず発言し議論に貢献する。レポートをメールで出す際は私の仕事が正当に評価されるよう、評価に関わるスタッフを残らずccに入れる(ここだけの話、逆に言えば評価に繋がらなさそうな仕事は手抜きでやっています。このような嗅覚も生き残るために必要です。)。もちろんプロジェクトに貢献することを第一としながらですが、自分を同僚に認めさせることに(特に私のような移民は)無頓着であってはいけないのです。アメリカ企業ほどでなくともやはり実力主義の世界ですし、言語的にもビザ的にもハンデのある私の雇用契約はドイツ人に比べて脆いはずですから。欧州企業は残業をしないため体力的には凄く楽だけれど、その分日常がサバイバルで、独特の緊張感があります。

 

 ところで、生活も仕事も順調に進んでいて楽しいは楽しいのですが、何故かここ数ヶ月何か物足りないというか、気持ちがピリッと冴えない気がずっとしているんです。てきぱきと行動しているけれど、とらえどころのない無気力と闘っている状態。充実しているはずなのに何故?考えてみるに、やっぱり頭のどこかで孤独を感じているからでしょう。周りに日本人はおらず、仕事で日系企業とやり取りする場合を覗けば日本語を話す機会はないので、ストレスがたまるのは当たり前なんです。そんな外国人ばかり(自分から見れば)の環境の中で暮らすことによって、日本でドメスティックに形づくられた"自分らしさ"が、今激しく揺らいでいるのだろうと思っています。日本人同士のコミュニケーションの中でプライドをかけて選択し発してきた言葉や、ぎりぎりをきわどく狙っていく笑いのツボの攻め方(?)やらなんやら、そんな日本人的ディテールは、移民がひしめくコミュニティの中では簡単に無効になってしまいます。個々人が違いすぎて、またその違いの幅も広過ぎるから、私のセンスは彼らには伝わらない。つまり日本にいた頃からは性格を変えないともうやっていけないのです。

 実は私は、国境なんて意味が無いようなこれからの時代に多くの人が私と同じ壁にぶつかるのでは、と思っています。つまり、インターナショナルな環境の中で自分らしさをどう再定義するのか?ということです。当たり前ですがこれは小手先ではどうにもならないでしょう。私の見解では必要なのは、インターナショナルコミュニティにおける文化的共通項の把握と理解、個々の発言の歴史的背景を汲み取る知識と洞察力、トライ&エラーで手応えを掴む勇気とそれを繰り返すための長い時間、世界中の人の心の琴線に触れる絶妙な言い回しを可能とする抜群の英語力、あたりです(多い)。母国語以外の言語で外国人と本当に分かりあうことなんて土台無理な話だという人もいるけど、やってみなきゃ分からない。少なくとも"純日本人的自分らしさ"に甘んじるような楽な方向に逃げたくないし(というか、正確に言えばその方向は実際には楽じゃないから行きたくない、というのが私の直感)、焦らずじっくり時間をかけて、人や文化を眺めていこうと思います。そしてあわよくば、より普遍的な自分が見つかればいいな、と。

 

※先月購入した中古のフォルクスワーゲンのポロ↓

初日にいきなりバッテリーがあがったり、壁にぶつけてナンバープレートが曲がったりトラブル続きですが笑、運転はもともと好きなのでこれから遠出するのが楽しみです。車の技術にも興味があるので、ゆっくり勉強していくつもりです。

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我慢の限界 ~リライトのメロディーに乗せて~

 ドイツ生活における最大の苦しみは食生活だと思います。外食をするにしても日本人にはイマイチな場合が多々あり、日本食レストランは残念ながら近所にありません。回転寿司店がかろうじて近くにありますが、シェフは日本人ではなく(東南アジアの方?)、ネタは魚ではない訳の分からないものが多数回っており、日本人には近づきがたい雰囲気が出ています。そろそろ我慢の限界に到達しつつあるので、アジアンカンフージェネレーションの「リライト」のメロディーに乗せて想いを綴ってみました。

 

「リトライ」

期待のお寿司を吐き出したいのは
具材の食感がありえないから
スリムなはずの僕の腹囲は
「ソーセージ」と「地ビール」で膨張してるよ

挟んだベーコンを消し去りたいのは
塩分の限界をそこに見るから
「日清」過剰な僕の皿には
強烈なレッドペッパー(注1) 漬物がないよ

ケツいてー リカバリーしてー
雲の向こう一風堂
忘れられぬそば・うどんを
寿司ビュッフェー 来独してー
意味のない想像もキッチンに立つ原動力(注2)
オリジンの惣菜をくれよ

見栄えしてた菓子パン硬くて萎えて
所詮ただタイ米しなびて萎えて

崩れたケバブを
水分のない手羽を
替えてー リトライしてー
具沢山 上天丼(注3)
忘れられぬ明月館を
新規開店ー ドイツ支店ー
意味のない想像も帰国を延ばす原動力
全身全部位をくれよ 
牛のー 
モーモー ジュージュージュージュー(注4) 


1)日本から持ってきた一味
2)料理を練習する意気込み
3)てんや
4)鉄板で焼いてる音

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人生の雨宿り

 先日不意に、とある恋愛映画を観ました。金曜の夜仕事から帰ってきて映画でも見ようかと思いAmazonプライムビデオをだらだらスクロールしていたら、その映画の広告サムネイルがなんとなく目に留まったので、あらすじや監督名には一瞥もくれずにいきなりレンタルのボタンを押したところ恋愛(及び青春)映画でした。(疲れていたのでどうでもよかった)

 筋を簡単に言ってしまえば、陸上のスター選手の女子高生がある日練習中に怪我をしてしまい、絶望してふらふらしていたのだけれど、雨宿りのためにふと立ち寄ったファミレスの店長の何気ない優しさが心に沁み、冴えない中年のおっさんであるにもかかかわらずその人に恋をし、そのファミレスでバイトを始め、挙句の果てには告白までしてしまう、という話です。すごくいやらしい話ですね。案の定歳の差が障害となり、告白した方もされた方も悩みまくった挙句、結局二人はうまくいきません。でも映画のラストに向けて(酒のせいか)不覚にも少し引き込まれてしまったのですが、二人は心を裸にしてぶつかりあったおかげで吹っ切れ、憑き物が落ちたような心持ちで互いの日常に帰っていき、女子高生は再び陸上の夢を、おっさんの方は忘れてかけていた小説家の夢を追いかけ始めます。

 この映画には”人生の雨宿りの物語”というコピーがついていて、絶妙だと思います。本来いるべき場所(もしくはいるべきか迷っている場所)から一人でぽつんと何らかの事情ではぐれているとき、そこで過ごすつかみどころのない時間は逆に忘れがたい記憶になる。

 小説家の遠藤周作は若い頃大学に嫌気がさして足が遠のき、その代わりに毎日湘南に行って海辺で聖書を読み続けたエピソードをあるエッセイにつづっています。私はその話を大学受験の時に読んで感動しました(タイミングが悪い)。未だに度々思い出す程です。もちろんそんなことをしても何かが変わるわけではないのだろうけれど、その行為自体に胸を打つものがあります。彼にとってもわざわざエッセイに書くぐらいには、印象的な記憶なのでしょう。

 私の”雨宿り”の時期はフィリピン留学時代かなと思います。30歳の時日本の職場に嫌気が差し気が触れたように会社を辞めて、フィリピンのセブ島に渡り、語学学校で8か月間英語の勉強をしました。英語を身に付けて今度は海外で働きたいと思っていました。このように旅行や勉強のために人生の節目で設ける空白期間を”Gap Year”と呼び欧米では珍しくないらしいですが、日本人には馴染みが薄いですし、現に日本での再就職も視野に入れるなら私のしたことは大きなリスクです。(履歴書に空白期間があるとまずいという例のアレです。本当にくだらない。)

 セブ島での生活は昼間に学校の授業に数時間出席する以外にやるべきことは特になく、気楽で自由な反面、留学後に対する不安を抱えて過ごしました。また英語の勉強も本腰入れてやるのは初めてだったし、何よりそれまでの長時間労働から唐突に解放されたことによるあのふわふわした感じはこれまでに経験したことがないものでした。観光をするほどの貯金もなかったため、バカンス目的で来ている学生達とは距離を置いてつきあい、毎日淡々と英語の勉強をしていました。現時点から振り返ってみると、セブ島にいた間の記憶にはぼんやりと霞がかかっているような感じです。留学生や先生達とどんな話をしたのか上手く思い出せない。その割にセブ島の雑多な街並みは異常な程に鮮明に記憶していて、目を閉じれば即その場所に戻ることができる気がする程です。滞在中のセブ島はちょうど雨季で、良く煙草を吸いながら雨が止むのを待っていました。記憶の中で喫煙所の軒下に立ちまっすぐに叩きつけるスコールを眺めれば、当時どうにも振り払えなかった不安もありありと蘇ってきます。

 そして今私がいるのは冬本番の中央ドイツ、常夏のフィリピンとは対照的に最低気温-20℃の白銀世界です。熱帯特有の生暖かいセブ島の空気は、前世の記憶のように一層非現実的なものに思えてきます。自分でも驚いたのだけれど、フィリピン時代の写真を探しても一枚も見つけられなかった(笑)何枚か写真は撮った気がするから、SDカードをセブ島に忘れてきたのでしょうか。

あけましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます!

 せっかくの冬休み(なんと、16連休)もビザの更新手続き中のためドイツ国外に出ることができず、自宅のアパートで一人粘り強く過ごしています(笑)いろいろな家具を買い揃えたり、読みたかった本を読んだりできているので丁度良いんですけどね。ビザの更新が予定通りに行けばブルーカードを今月末には取得でき、その後4年間のドイツ居住と就労の権利を得ることができることになっています。

 年末の30日には、家の近所のクラブがその日限りで閉店するということで、会社の同僚に誘われて行ってきました。やはり最後の日ということもあって大勢の人が駆けつけたようで、入場ゲートには長蛇の列ができており、中に入れるまで約1時間半待ちました。案の定フロアは超満員で若者達が踊り狂っており、午前1時を回ってからは音楽も酒も踊りもフロアが一体となって勢いを増していくようでした。男も女も体が大きいことを除けば、日本のクラブとそれほど違わない雰囲気です。この日私も存分に楽しむつもりだったのに(いや実際楽しかったんですが)、爆音の中でふと、フロアで踊る若者たちを少し冷めた目で見ている自分に気が付き、あれ俺はどうしちゃったのかな、と思ってしまいました。学生時代、自分も渋谷や六本木で同じようなことをやっていたのに、もう懐かしい幻のように思えてくるのです。今やいい年こいたおっさん(33歳)なので自然なことかもしれませんが、近頃こういうことが増えました。。

 これと関連して、昨日偶然Webで見つけた茂木健一郎氏のブログ記事のリンクを張っておきます。唐突に思い立って、大みそかに一人でフルマラソンを走ったという記事。

lineblog.me

これ、正直胸を打たれました(笑)こういう途方もないエネルギーをもって訳の分からない(?)ことをする事(人)が私は昔からすごく好きなのです(笑)さらに中年のおっさんがやるんだから、最高にかっこいいですね(笑)そして、一見すると彼はふざけているだけのように見えるけれど彼自身の方法で、私がクラブで感じたことと同じ問題と戦っている、と感じました。その問題とはつまり、年齢と共に生きることの手ごたえが薄れていくこと(とでも言えば伝わるだろうか?)。

 若いころは自分がいつか大人になることが信じられなくて、将来なんてどうでも良過ぎて、だからこそ死がもっと身近で、常に死に意識的で、それこそクラブやらカラオケやら行った日には、それはいわゆる”遊び”なんていう生易しいものではなかったように思います。生きていることがリアルで、ひりひりとするような、あの感じ。なんならその場で、くだらない馬鹿みたいなことが起きて死んだとしても関係ないじゃないか、とそれくらいには刹那的だった(笑)(そして実際に流血やら器物破損やらが頻繁に起きました。)それがいつのころからか、仕事を始めてからなのか、明日に影響が出ないように今日一日を無難にやり過ごすスタイルに変わっていったのだろうと思います。仕事にはベストを尽くして確かに頑張ってはきたけれど、突拍子もない発想は生活の中で出てこなくなったし、感動することも減ってきた気がしています。同じような毎日がこれからも続いていくと思うと、なんとなくそれが恐ろしいことのように感じる時もあるほどです。こんなことを考えているのは、今平和な生活を送れている証拠かもしれないけれど、、

 茂木氏の記事にヒントを得て、とにかく2019年は少しずつマインドを変えて非日常的行動を生活に取り入れていく必要があるのだろうと、今はぼんやりと思っています。キーワードは“衝動“ですかね(変な目標ですが笑)。

 今年もよろしくお願いします!

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クリスマスマーケット

 私が勤務している田舎町でもクリスマスマーケットが始まり、一昨日同僚達と一緒に行ってきました。その名の通り飾り付けられた通りに様々な出店が並ぶのですが、ドイツ人がやることと言ったらクリスマスでも特に変わることはなく、酒を飲みながらだらだらと話をするだけです。ドイツ人はとにかく話好きで、それも外で酒を飲みながら話すのが好きなようで、夏はビアガーデンに昼ごろやってきて、隣に座った知らない人とそのまま夜まで話続けます。(この町は田舎だから、特にそのような傾向が強いのかもしれません)。一昨日も大勢の人で賑わっており、その多くが外で飲んでいました。ここ数週間で大分冷え込んできていて息が白くなるほど寒いのにも関わらず、頑なに外です。設備としては風よけのテントがぽつぽつとあるくらいのものです。この時期の名物となっているのがグリューワインと呼ばれる香辛料を加えた温かい赤ワインで、普通のワインより度数も少し高いらしく、飲んでいるうちに体がぽかぽかとしてきます。これを飲みながらひたすら寒さを無視し続けるのです。一方で、この寒さこそがこのイベントの魅力の一つでもあると感じました。会場全体に装飾用電球がたくさん取り付けられており、金色の光が乾燥した空気の中でシャープに飛び交い、パソコンの見すぎで疲れた目には、はっとするほどにきれいで、グリューワインが回った頭は終始ぼおっとして(4杯飲んだ)、温かいやら寒いやら(4時間も外にいたらさすがに寒かった)、とにかく夢を見ているような気分になるからです。

 今週は取引先の日系半導体企業からエンジニアの方々に職場に出張に来て頂いていたため、クリスマスマーケットにもお誘いし、彼らと腹を割った話ができました。出張メンバーの中には現在市場を席巻しているあるLSIのまさに生みの親(の一人)である経験豊富なエンジニアもおられました。彼がぽろっと、日本メーカーが海外に工場を手放してきたことは長い目で見れば致命的な失敗だ、これから日本の技術は落ちていく、と言ったことが印象的でした。私も同意見です。製造現場から離れると、エンジニアにとってデバイスがブラックボックス化していくのです。その反面、一つのデバイスに詰め込む機能は多様化・複雑化し、設計者の仕事は増える一方です(彼が設計したLSIは今や、その仕様書は8000ページを超えている!)。設計者は仕様の理解に追われ、頭の中だけでものをつくり、手を動かさなくなっていきます。驚くべきことに半導体企業といえども若手設計者はクリーンルームに入ったこともない人がほとんどらしい。もう今はそんな時代です。

 出張者の一人に、何故ドイツに来たんですかと聞かれたのですが、この質問には毎度うまく答えられず、困ってしまいます。外国の小さな町で一人で働いて暮らしていくことに本当はどんな意味があるのか。そんなことやってみなきゃわからないと思っていましたが、やってみても分かりませんでした(笑)。ただただ静かで何もない毎日が過ぎていくだけです。不安や感動や興奮とは無縁です。そして持て余すほど、時間に恵まれています。まだこっちに来て4か月ですが、全てがスローな自分の性格には合っているのかもしれません。手ごたえを得るためにもっと長い時間が必要、という気がします。

 来年一月には日本出張を予定しており、楽しみです。久しぶりに日本に帰れるということもありますが、取引先の方が大相撲観戦に招待してくれるらしいからです(笑)

 

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職場について

 この頃ようやく仕事に慣れてきて、担当している案件も大方順調に進んでいます。ついこの間までは日本人がただの一人もいない職場で働くなど到底不可能なことのように思えていたのですが、今ではミーティングの仕切りすらやっており、人間の適応力ってすごいですね。英語のリスニング力も大分伸びてきている。でもたまに、家に帰って一人でいる時やバスでの移動中などに、いつまでドイツ生活を続けていけるのだろうかという考えが、ふと頭をよぎる瞬間があります。何かのきっかけですぐに駄目になってしまう気がして、、。このぼんやりとした不安は海外で暮らす人は皆感じているのでしょうか。なるべく先のことを考えないように気を付けながら、目の前の仕事に集中しています。

 私が勤務している会社はドイツ系の電子機器メーカーですが、商品に搭載されているデバイスは驚くほどに日本製が多く、例えば画像処理プロセッサ、各種センサ、液晶ディスプレイ、記録メディア等のキーデバイスはどれも日本製です。私は半導体集積回路や画像処理を専門とするエンジニアですが、上記の事情から日本メーカーとの技術交渉の窓口としての役割も任されています。というのも、海外メーカーからすると日本メーカーはとてつもなくとっつきにくいのです。それは日本人(のエンジニア)が英語が苦手なことや、日本特有のはっきりとものを言いたがらない文化によるところが大きいようです。現職場の資材部は、これまでに幾度となく日本メーカーへのコンタクトに失敗、又は交渉が難航した経緯から、有望なデバイスを見つけてきても、それが日本製であることが判明すると落胆の表情に変わります、、(これからはそんな時が来たら私の出番です。)しかしながら上記の困難を承知の上でなお、海外企業が日本のデバイスを使おうとするのは、一重に日本の技術力が素晴らしいからです。日本のものづくり品質が海外から評価されていることは、ドイツに住んでいるとひしひしと感じますし、そのことは私も日本人として誇らしく思います。ただそれ故に、内に閉ざされた開発環境がもったいないとも思う。(日本の半導体技術の躍進はこの鎖国的状況が追い風になった部分もあるとは思うけれど)

 先日もある日本メーカーから5名ほど技術交渉にはるばるドイツまでお越し頂きました。現在あるキーデバイスの生産委託をさせて頂いているメーカーで、実は私が日本時代に勤務していた会社です。しかも内1名は同じプロジェクトを担当していた知り合いでした(笑)名刺を交換しながら、世界って狭いですねって、、、ばっちり競合メーカーに転職している身分なので、気まずすぎ(笑)

 その会議は日本時代の辛い記憶がフラッシュバックするような内容でした。会議中に相手方のマネージャーが、部下の若い設計リーダーに(日本語で)パワハラまがいの言動を繰り返していたからです。その設計リーダーは拙い英語でドイツ側にプレゼンを試みるのですが、まったく余裕のない様子で、見ているこちらが辛かったです。頭にあるのはその場をいかに上司の機嫌を損なわないように切り抜けるか、ということだけでしょう。マネージャーは設計リーダーのプロジェクトに対する理解の浅さ、英語の不勉強を人前で散々馬鹿にしていましたが、私はその設計リーダーは決して能力が低いわけではないと思っています。ただじっくり考える時間がないのです。英語の勉強もしたくてもできないのです。というのも、その設計者にドイツ時間の夕方にメールを出してもいつでもその日中に返信があります。時には5時過ぎに返信があるのですが、それって日本では夜中の1時過ぎだけど終電大丈夫なのか?とこちらが心配になります。時には私の方が先に帰っていて、その日中に応答できないこともあります笑(私は大体5時には会社を出るので)

 この残業文化が、日本の鎖国感と深いところでつながっている、と思います。私も日本時代この設計リーダーとほとんど同じ生活をしていました。日本メーカーにとってスケジュールは死守すべきことであり、マネージャーは部下にパワハラをしてでもやり通さなければ、自分の査定に響くのです。先の設計リーダーがどれほどの精神的ストレスを抱えているか、私にはよく分かります。

 一方で有名な話ですが、ドイツ(というかヨーロッパ)の企業は残業をしません。私の職場もそうです。皆スケジュールに対して無頓着で、というかスケジュールなどそもそもあってないようなものです。だから、残業をせずに済む。私の職場では日報や週報すらもありません。ヨーロッパには、基本的に人間は気ままなものであるということを理解する文化的土壌があると感じます。その上でそのような人間たちが集まって前例のない新しいデバイスを生み出そうとする時に、どのくらい期間がかかるかなど予測できるわけがないという共通認識の基に開発をしています。もしスケジュールを予測できるとしたら、その試みは最初からその程度のものでしかなく、本当にはチャレンジングなことをしていない、と考えるのです。だから、スケジュールが遅延しても誰も責任を問われることはありません。ドイツに来て最も日本の職場との違いを感じるのはここです。そしてこの点に関して、私はドイツの職場の方がまともだと思います。少なくともドイツ式で仕事をした方が楽しい。またエンジニアの成長という観点でも重要なポイントです。日本でくすぶっているエンジニアは、海外に出ればいいのにと思う。時間的、精神的に余裕のある職場の方が、クリエイティブなことはしやすいに決まってる!

 今の職場にいるエンジニアは、ゆったりとものづくりを楽しんでいます。普段は口数が少なくても技術の話になると生き生きとしてくる人が多く、自分に似ているなと思う(笑)職場にはドイツ人だけでなく、私のような移民が世界各地から集まっており、インターナショナルな国籍構成になっていることも、逆に人間関係のこじれが生まれず良いような気がします。そして何よりも、パワハラなんて頭の悪いことをするマネージャは一人もいません。そういう人間の自由さ、気ままさを理解しない発言をすることは、一番恥ずかしいことだと皆が理解しているからです。

 

 こちらでは毎日、まだ人のあまりいない早朝に写真の並木道を通って会社まで通勤しています。最近は大分冷たくなってきた空気の中をずんずん歩いていくと、五感が冴え渡って雑念が飛んでいくような気がします。疲れが残っているような日でも、並木を抜ける頃には今日一日を駆け抜けていく力が湧いてくる気がするから不思議です。一日の中で一番好きな瞬間です。

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