脱力系ぷかぷかドイツ日記

脱力系ぷかぷかドイツ雑記帳

ヘッセン州の田舎町でデジカメの開発してます

コロナやばいぜ from ドイツ

 正直コロナウイルスの騒ぎがここまで深刻になるとは思っていませんでした。ドイツでも感染者が一万人を超え、現在政府は国境封鎖の措置と共に、スーパー等の必要最小限の店以外全て営業禁止としています。会社からも原則オフィスへは出勤禁止と指示され、今週は完全に在宅ワークでした。今月はもともと台湾や日本に出張で行く予定で楽しみにしていたのに、もちろんそれも無くなりました。さらに会社から連絡が入り、近日中に全社員を時短勤務に変更し給料についてはドイツ政府に補填を求める申請を行うとのこと。主に部材調達の問題でまともにビジネスを行えない状況を考慮しての判断です。(うちの会社は多くの部材を中国から仕入れているのです。。)政府との交渉の結果によっては給料が減額される可能性があるらしい。やばいぜ!!

 でも今世の中にはもっと困っている人たちが大勢いるでしょうね。例えば旅行関連業種は完全にストップです。またイベント運営やそこで収入を得ていたフリーランスのアーティスト達。彼らもしばらくはほとんど失業状態でしょう。そして営業禁止になってるお店も収入が途絶えます。政府の援助も限界があるだろうし、小さなお店はつぶれてしまうんじゃないだろうか。

 また、欧州全体の傾向ですがドイツでも、コロナウイルスの震源となったアジアに対する恐れから、人種差別が問題になっています。自宅のシャッターに卵を投げつけられたり、在ドイツ日本人からも被害者が出ているようです。こういう事があると、自分が外国人であることを実感しますね。

 私自身ドイツに来てから、人種差別は何度か経験しました。道ですれ違う時に、宇宙人がいるぞ!と言わんばかりにオーバーリアクションで驚いた仕草をしてみせる奴とか、一番ひどかったのはルフトハンザ航空の機内で隣に座ったドイツ人の若者が小さな声で「くたばれ、中国人」と呟いたこと。あの時はあまりにも偏見と誤解に満ちたこの一言に対し、まずどこから腹を立てるべきなのか混乱してしまいました(笑)ひとつ言えることは、移民だらけのドイツにすらいわゆる"保守"がそこら辺に転がっているということです。(もちろん上記のような目に遭うのはまれなことで、95%以上の ドイツ人は差別的な態度をとったりはしません。)

 コロナウイルスに関連して差別にあったことはまだないけれど、先日久しぶりに会ったドイツ語レッスンの先生に握手を拒否された時は結構ショックでした。。私はまだこの時は油断していたので、握手を求めたのも軽率だったんですが。。本当に皆過敏になっています。

 日本と異なるのはこんな状況にもかかわらず町にマスクを着けている人がいないことです。(ここ数日はあまりにも騒ぎが大きくなってきたので、ごくわずかに毒ガス用みたいな大袈裟なマスクをつけてる人がいたりしますが。)欧州では体調が悪いときはSick Leaveとして外を出歩かないので、マスクをする習慣もそもそもないのです。今アジア人がうっかりマスクを着けて外を出歩くと、コロナウイルスに感染していると誤解を受け、(特に都市部では)危険な目に遭うかもしれません。

 スーパーに行ってもトイレットペーパーや保存のきく食材は棚から消えており(日本も同じみたいですね)、住民の危機意識の強さを感じます。今はとにかく早くこの状況から脱することを祈るばかりです。

ドイツ人の楽観的な気質について

 ドイツに来てから既に何度かAmazonで買い物をしているのですが、不在時に荷物が届いた場合再配達をしてくれることはなく、荷物は大抵同じアパートの住人のどなたかに引き渡されています。アパートのチャイムを適当に押して出てきた人に渡しているそうです。誰も出て来ないときは、近くのお店や郵便局に届くことになります。(もちろん日本と同じく受取場所指定のサービスはありますよ。)日本では考えられないことですが、ドイツの運送会社はこのように配達コストを下げているのです。ポストに入る不在時伝票に代理の受取人の名前が記載されており、その人の部屋を訪ねて荷物を受け取ります。この間いつも若干そわそわします。受取人が変な人だったら中身を見られたりするかもしれませんしね(別に見られてまずいものは入ってないけどさ)。でも配達する側はそんな事気にしていない。つまりこのシステムは見ず知らずの人に対する信頼をベースに成り立っている訳です。実際、結構値の張る車用のBluetoothアダプターを買ったときは、おそらく受け取った人が面倒だったのでしょうが、私の部屋のドアノブに外から無防備にかけてあったこともありました。。これは、誰かが持っていってしまうかもしれないと考える人なら絶対にやらないことです。

 あくまで私個人の印象としての話ですが、悪いことが起きることを疑わないというのはドイツ人の一般的な傾向のような気がします。厳密に言えば、もちろんその"悪いこと"自体を思い付いてはいるのだけれど、それについて真面目に考えたり几帳面に対策することをよしとしない。なぜならコストがかかるからです。実際日本の再配達の仕組みの裏で、スタッフの過剰労働が問題になっていることはご存知の通りです。一方でドイツの運送会社は日曜日は完全休業です。このような違いを色々な場面で実感します。例えばドイツでは健康診断も強制ではありません。そんなもの受けたい人だけ受ければいい、という考え方です。もちろんドイツ人でも個人レベルでは慎重な人もいたりしますが、システムレベルでは日本と大分異なります。

 上記のことが特に顕著に現れるのが、職場での開発プロジェクトの進め方です。こちらでは新しい企画を立ち上げる際、多くのことを楽観的に考えてスケジュールを立てるため、開発途中で頻繁に遅延が起きます。でもこれには良い点もあります。一つ目は問題が発生してから対策を立てるので、適切な手が打てること。これが労働生産性を上げる一つの要因になっていると思います(気をつけないと、対症療法的になってしまいますが)。二つ目は企画段階で細かくリスクを洗い出さないがゆえに、難易度の高いチャレンジングな企画でもとりあえず走り始められる点です。同僚の一人は「そもそも作ったことのないものを作るんだから、スケジュールなんて立てられるはずがない」と言っていました。逆に言えば、きちんと当初のスケジュール通りに事が運ぶということは所詮その程度のレベルの企画だということかもしれません。

 でも、目をつぶってきた"最悪のケース"が実際に起こってしまうと為す術がないのです。私は既に何度か、ただただうろたえるだけのドイツ人を見たことがあります(笑) 私が関わっているあるプロジェクトなんかだと、一昨年の9月にプレスリリースで商品発表した後に致命的な問題が顕在化し、未だに発売してませんから。。 もう既に世の中から忘れられているでしょうが、発売を断念した訳ではなく未だ対策中なんです(笑)

 

会社の窓越しに外を撮影↓ 冬本番

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腰痛の最新医療まとめてみた -どうやら腰ではなく脳が原因みたい-

 1年ほど前に腰痛を発症してからというものなかなか治らないため、私なりに原因や治療法を調べているのですが、その過程で非常に面白いことがわかってきました。どうやら最新の医療では「長く続く慢性腰痛は腰ではなく脳が原因」という認識にシフトしてきているらしいのです。

 これは非常にトリッキーな話なのですが、通常腰痛は椎間板の突出や筋肉の癒着等が腰の神経を刺激し、それが脳の痛みを感じる箇所まで電気信号として伝わることによって発生します。しかし問題がある腰の部位自体はほとんどの場合放っておいても3ヶ月程度で治ることが分かっているため、腰の手術は今は昔ほど行われていません。(私も腰痛発症からしばらくして病院で腰のレントゲンを撮りましたが、全く異常は見られませんでした。) では長引く慢性腰痛は何故起きているのかというと脳がバグを起こしているから、らしいのです。つまり、既に腰は治っているのに脳が"幻の痛み"を勝手に感じ続けているというのが最先端医療の認識ですそして(ここが重要なのですが)、脳がバグを起こしている原因はストレスや痛みに対する恐怖心だと考えてられているのです。私の場合ドイツに来て周囲の環境がこれまでと大きく変わったことで、知らず知らずストレスを感じていたのかもしれません。

 現在特に欧米の腰痛治療は、手術ではなく脳のバグを取り除く運動療法にシフトしつつあります。従来はぎっくり腰はもとより慢性腰痛患者にも安静にさせるのがセオリーでしたが、今は逆に医者が体を動かすことを患者に勧めるのです。これは腰痛に対する恐怖心を取り除き、脳の痛みを感じる神経回路を正常化させるためですこのアプローチは鬱病の治療にも用いられる認知行動療法に分類されます。

 一方、腰痛治療費の負担が国の財政上の問題となっていたオーストラリアでは、国の施策として公共の電波を使ったコマーシャルを定期的に打ち、腰痛の正しい知識と共に「腰痛は必ず治るものだ」と心配に値しないことを国民にアピールしたところ、それ以降腰痛患者が劇的に減少したという興味深い実例があります。つまり、腰痛を改善するために運動をすること自体にポイントがあるわけではなく、ストレスや恐怖心を下げられれば効果が出ることが示されたわけです。

 ちなみに脳が身体感覚にエラーを起こすこと自体はこれまでにも報告例がありました。神経学者や脳科学者によって研究されてきた代表的なものとして幻肢があります。幻肢とは事故等で手足を切断してしまった患者が、失われた手足が未だに存在するように感じる症状のことです。患者は驚くべきことにイメージの中で手足を自在に動かすことだってできるらしい。無いものがまるでそこに在るように感じながら。(切断前に腕が痺れていた患者は切断後も腕の痺れに苦しめられるらしいです。)また手足だけでなく内臓を摘出した患者にさえ幻肢が報告されています。

 幻肢も最初は切断された箇所の神経が原因だと疑われていました。しかし、その神経を切除してもなお幻の感覚や痛みが残り続けることから、今では脳が原因だとされています。

 私にはこれらの話が未だに不思議でならないのですが、つまり身体感覚というのは結局のところ、体を通した経験によって脳が作り出す主観的なイメージのようなものなのでしょう。そして脳がエラーを起こしたら、その脳に外から働きかけて"再学習"を促すことによってイメージを修正するしかない、ということ。科学って本当にすごいですね。。ここまで分かったら、私はもう腰痛解消の一歩手前まで来ているような気がします。

 念のため以下に参考にした本と動画のリンクを貼っておきます。いつか誰かの役に立つかもしれませんので。  

腰痛は脳で治す! 3秒これだけ体操

腰痛は脳で治す! 3秒これだけ体操

  • 作者:松平 浩
  • 出版社/メーカー: 世界文化社
  • 発売日: 2016/04/06
  • メディア: 単行本
 

慢性腰痛の発生メカニズムが詳しく説明してあります↑ 付属のDVDで”脳リハビリ”のためのストレッチの仕方が学べます。(私もこれからやっていく予定)

 
神経科学者ラマチャンドランのTEDトーク↑ 幻肢の患者の”脳のエラー”を修正するために彼が考案した独創的なアイデアについて解説しています。

サンクコスト中毒にならずに生きていけるだろうか?

 年明けから仕事で忙しい日々を過ごしています。電子機器の開発というのは本当にトラブルの連続で、昨年末には担当プロジェクトの一つが消失する危機まで経験しました。。その後なんとか持ちなおし、今はこのまま順調に進んで欲しいと祈るばかりです。上手くいけば自分が携わった商品が初めて今年の3月にリリースされるので、今から楽しみにしています。入社してから一年半が経ちそろそろ会社のダメなところもちらほら見えてくる頃ですが、それを過剰に気にしない事が大事だと思っています。結局自分ができることをその場その場でやっていくだけですから。
 
 ところで、この間ネット徘徊中に”サンクコスト効果”という面白いトピックに出会いました。これは人間がある対象に労力・時間・金などを投資して望んだ成果が得られなかった場合、合理的な判断ができなくなり、また同じ対象に投資してしまう心理効果を指すそうです。例えばパチンコで負ければ負けるほど、負けた分を取り戻そうとしてさらにお金をかけてしまうこと等が挙げられます。サンクコスト(= Sunk Cost)は「埋没費用」と訳され、回収できなかった投資分を指す経済学の概念です。たちが悪いのは投資を繰り返す自分を正当化するために、人は無意識の内に投資対象をそれに値する魅力的なものとして錯覚するようになる点です。
 
 この話には何かはっとさせられるものがあります。例えば仕事がつまらないとぼやくサラリーマンがすぱっと会社をやめられないことにも関係があるような気がします。そのような人の多くは心のどこかで、あんなに頑張ってきたのに今辞めたらもったいない、と思っているが故に働き続けているのかもしれません。そんなに悪くない仕事じゃないか、と自分に言い聞かせながら。以前職場の上司がまだ若い私に向かって「君は定年まで、あと30年ここで働くのだから~~」と当然のように言ってのけたことがあり、ものすごく嫌な気分になりました。その後の30年が(つまりおおよそ自分の人生が)内容の見え透いた消化試合のように思えたからです。幸運にも私は今仕事を楽しめているけれど、これから歳を重ねるに連れて否応なくキャリアは”積み上がって”いくことになります。そしていつか、自分の後輩に向かってあの上司と同じような発言をしてしまわないだろうか?自分はサンクコスト中毒にならずに生きていけるだろうか。若い時の苦労は買ってでもせよとは言うけれど、これは苦労してきた人ほど気をつけなければならない事です。
 
 対照的な話で、昔スガシカオは(私は彼のファンなのです!)何かのテレビ番組でインタビュアーに「五年後、十年後の自分はどうなっていると思いますか」と訊かれて、そんな事考えるわけないじゃーん、めんどくさーいと笑いながら、「だって俺明日のスケジュールも知らないもん」と言いました。あの時私は、自分もこんな風に生きられたらいいなと思ったし、あれから幾分歳をとった今になってもその感触が残っています。 彼は短い沈黙のあと、そんな先のことは本当に何もわからない、歌っていられればいいなとは思うけど、とぼそりと付け足しました。
 
 サンクコスト中毒を回避するためのリスクヘッジとしては、やりたいことを複数持っておくのが有効かもしれません。とにかく”仕事一筋”というのは絶対危険なので、仕事以外で熱くなれるものをどんどん見つけていきたいと思う今日この頃です。

ぷかぷかイタリア旅行 ③ヴェネツィア

2019年12月14日~21日までのイタリア旅行の記録。

ローマ(2泊)→フィレンツェ(3泊)→ヴェネツィア(2泊)

 

③ヴェネツィア

 ヴェネツィアでは旅行の一ヶ月前に高潮による深刻な被害(過去50年で最悪だったらしい)が出ていたため、まともに観光できないことも覚悟していたが、幸運なことに復旧が大分進んでいた。ニュースで完全に浸水したと伝えられたサン・マルコ寺院も観光客で賑わっており、主要なスポットには問題なく入ることができた。
 
 "水の都"と呼ばれるこの島は海抜が低いがゆえにこれまでも度々高潮による被害に見舞われてきた。建物の地上入り口には水の侵入を防ぐパーテーションが設置されており、それをまたいで入っていかなければならない。島内には水路が張り巡らされており、移動手段は主に水上バスとなる。地上を車が全く走っていないためとても静かだ。周囲10kmやそこらの小さな島なのに、スーパーやレストランが割りと沢山目につき、有名ブランドのアパレルショップが立ち並ぶショッピングエリアまであったのは意外だった。あそこまで充実していれば、必要なものは大体何でも島内で手に入るはずだ。結構規模の大きい大学もあるらしく、そこにはなんと日本語学科まで存在する(!)ということだ。
 
 滞在していた間、空は分厚い雲で覆われ霧のように細かい雨が一日中降っていて傘をさしたり閉じたりしながらの観光となった。路地は細く入り組んでおり、Google Mapを見ながら歩いてもGPSの精度が追いつかずなかなかに苦戦した。日中には水上バスで近隣の島にも足を伸ばした。ガラス細工で有名なムラーノ島と、カラフルな家々が並ぶブラーノ島だ。特にブラーノ島は"インスタ映え"するスポットとして知られ、主に韓国人や中国人がこぞって写真を撮っていた。(今や地球規模で見られる現象だ)
 
 辺りが暗くなると、ヴェネツィアの中心を流れる大運河沿いのライトアップは、濃い霧の中でソフトフォーカス気味に反射してきれいに光った。そんな時は特に「この島に長くはいられない」と思わざるを得なかった。静かで美しすぎるがゆえに避けがたく憂鬱になるような、そんな気がしたからだ。
 
 また、ヴェネツィアは治安が良いことでも知られている。大陸と分断されていることは、かつてヴェネツィア共和国として独立していた頃からのカルチャーや雰囲気を保存するのに一役買っているのだろう。
 
 ちなみに帰国する日の朝、僕と友達二人とも原因不明の発熱と下痢に襲われた。僕の場合はおまけに鼻血まで出た(笑) きっと前日までの食事のせいだと思うけど、可能性としては下の3つ。
 
・ヴェネツィア名物ポレンタ料理(とうもろこしの粉を煮込んだもの)
・アイスクリーム
 →マグナムの実店舗が何故かヴェネツィアにあった。味やトッピングを自分好みにオーダーでき、オリジナルマグナムを作ってくれる
・ビリヤニ
 →イタリア料理に飽きたということで、最後のディナーはインド料理を食べた(今思えば意味不明)
 
結局どれが犯人だったのか。。全部美味かったから疑いたくないが(笑)
 
 さらにもう一つ、最終日に困難が待ち受けていた。前の日に夜通し雨が降ったため、またもや町が浸水したのだ! しかし取り乱していたのは我々だけで、朝ホテルをチェックアウトした頃には既に路地という路地に幅1mほどの足場が張り巡らされており、皆その上を平然と移動していた。結局あの光景がヴェネツィアの強さを象徴する、旅のハイライトだったと今では思う。(僕はスーツケースを持っていたのと体調不良で移動は大変だった。。) 飛行機は無事飛んだので日程に影響はなかったが、あの後島はどうなったのだろう? 雨が止みそうになかったから被害が出てないといいけど。。
 

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ぷかぷかイタリア旅行 ②フィレンツェ

2019年12月14日~21日までのイタリア旅行の記録。

ローマ(2泊)→フィレンツェ(3泊)→ヴェネツィア(2泊)

 

②フィレンツェ

 フィレンツェは町自体が世界遺産に登録されており、"花の都"と言われるだけあって、どことなくロマンチックな雰囲気で散歩しているだけで楽しかった。どのレストランも壁の装飾や家具にこだわりが感じられ、カラフルではあるがどこか落ち着きのある独特の色彩が特徴的だった。初日に入ったトラットリアは夫婦が二人で営んでいて、奥様は英語が苦手であることを詫びながらも、丁寧におすすめを説明してくれた。彼女の鮮やかな服はインテリアによく馴染んでいた。その店は夫婦で手作りで生み出した(世間から干渉されることのない)彼らの城なのだ、と思った。
 
 ローマの石畳のせいで足が痛かったのでフィレンツェ滞在中は少しペースダウンしてゆっくりと過ごした。フィレンツェのシンボルであるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、通称"花の聖母教会"の近くのカフェで足を休ませながら、敢えて持参していた「クラウン ドイツ語単語1600」を黙々と勉強したのはいい思い出だ(笑) ピサには鉄道で行って、斜塔とドゥオーモだけ見て日帰りでフィレンツェに戻ってきた。
 
 シンボルの聖母教会は建設に175年(!)かかったらしい。ということは若い時からずっと建設に携わっておきながら、完成した姿を見ることなく死んでいった者も沢山いたのだろう。想像を絶する作業だ。
 
 現代ではどんな国でも建設に175年かかるプロジェクトに予算はつかないだろう。例えば日本の国土交通省に、建設担当者が(老衰によって)まるっと途中で入れ替わる計画を立てるなんて芸当はできっこない(笑) さらに、驚くべきことに最近のある中国メーカーの発表によると、建築用3Dプリンターを使えば24時間以内に家が一軒建つらしい。今は合理性が優先され、クリアな青写真が描けないプロジェクトは排除される時代だ。
 
 昔はよかった、という話ではない。変な言い方だが逆に計画なんて立てずに作業をしたからこそ聖母教会は完成したのではないか、ということである。ルネッサンスの立役者達は"価値あるものをつくる"という点で恐ろしくピュアだった。それが自分の目でフィレンツェを見てきた一番の印象だ。どのくらいの時間やコストがかかるかという問題は、彼らには二の次だったのだろう。もちろん当時の宗教的・政治的要請と創作は切り離せないだろうけれど、彼らの志は創作物の隅々に行き渡っている。特に聖母教会の緻密な外壁は見ているだけで時を忘れてしまうほど素晴らしかった。
 

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ぷかぷかイタリア旅行 ①ローマ

2019年12月14日~21日までのイタリア旅行の記録。

ローマ(2泊)→フィレンツェ(3泊)→ヴェネツィア(2泊)

 

①ローマ

 旅行ガイドブックにはローマと東京の気候は似ていると書いてあったが、現地に着いてみると湿度が低いせいかびっくりするほど寒かった。街全体が観光地という雰囲気で、オフシーズンにもかかわらずどこに行っても人でごった返している。お世辞にも居心地がいいとは言えない。「ローマの休日」の舞台となったスペイン広場では、階段に座って休んでいるだけで警備員に注意される(された)。ローマ市職員や地元民が、押し寄せる観光客から、街の遺産や景観を全力で守ろうとしているようだ。(そういえば村上春樹は昔イタリアに数年滞在していたとき、諸事情でローマに住まざるを得なかったらしいが、その騒々しさにうんざりして、暇さえあればそこから"脱出"しトスカーナ地方の田舎を旅行してまわった、とある紀行文で書いている)。

 バチカンも含めて、二日間で主要名所を観て回った。印象的だったのは、歩道はもとより車道にまで広いエリアに石畳が未だ残っていることだ。車が近づいて来るとタイヤが「がーっ」とやかましい音をたてるせいで、(同行した友人との)会話を中断せざるを得なかった。タイヤにも悪いし、それこそ石畳が剥がれたら危険だ。それでもアスファルト舗装するなんてことは、古くから続くローマのプライドが許さないのだろう。

 個人的に好きだったのはトラステヴェレ地区だ。典型的な市街地と違い、路地裏にピッツェリアがびっしりと並び、ローカルな雰囲気が漂っていた。ランチのポルチーニ入りピザは絶品だった。

 石畳の上を歩き続けたおかけで、後のフィレンツェ巡りに支障をきたすほどに足が疲労したが、ローマにある数々の歴史的遺産の持つ迫力は圧倒的で、一見の価値があるものばかりだった。路地を抜けると突如目の前に威圧的なほどに荘厳な建物が現れて言葉を失う、ということが何度もあった。今回標準ズームレンズ一本という装備だったけど、広角レンズがあったらもっといい写真とれたのになぁ。もっとも写真では結局、ローマのエッセンスとも言うべき"古代からのオーラ"のようなものが、十分に伝えられないような気もするけれど。

 

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