脱力系ぷかぷかドイツ日記

脱力系ぷかぷかドイツ日記

2018年8月にドイツ企業に就職・移住したカメラ好きエンジニアのぷかぷか日記です

ドイツのヴェッツラーほっつき歩いてきた

 先週末(11/28 土)にヘッセン州ヴェッツラー(Wetzlar)を散歩してきた。ヴェッツラーは古くから光学を中心とした工業都市として発展した経緯があり、有名な電子機器メーカーのオフィスが目に付く。エンジニアもたくさんいるのだろう。ヴェッツラーは特にカメラメーカー「ライカ」の発祥の地として知られている。

 ライカの原点はヴェッツラーのエルンスト・ライツ光学研究所(現ライカマイクロシステムズ)である。もともとは顕微鏡を扱う会社だったのだが、そこで働いていた機械工オスカー・バルナックが、業務外で35mm映画用フィルムを用いた小型カメラを試作したことが始まりだった。1914年の話である。病弱だったオスカーは趣味の写真撮影を楽しむため、軽く持ち運びの容易なカメラを自身で構想したのだった。その後社長であるエルンスト・ライツ2世により会社の商品として量産する決定が下され、ライツ(Leitz)+カメラ(Camera)=ライカ(Leica)として世界中に広まることになったのだ。

 オスカー・バルナックは工場で働く機械工であり精密なレンズ設計を行うことはできなかったため、同僚のマックス・ベレーク博士に協力を依頼したという逸話がある。優秀な設計者であったマックスは高度な数学と光学の知識を駆使して、レンズを設計した。ライカについて語るときオスカーにばかりスポットが当たるがマックスも重要な立役者なのである。(アップルのジョブズとウォズニアックの関係にどこか似てるな。。)

 ヴェッツラーにはそんなライカゆかりのスポットがたくさんある。歴史の原点であるライカマイクロシステムズ社のオフィスやオスカーが試作機で撮影をした場所。また事前のリサーチが足りず気が付かなかったが、上記キーパーソンの記念碑等々、他にもいろいろあるみたいだ。

 大戦中に爆撃を免れた旧市街には数百年以上前に建てられた木組みの家がまだ残っていて、ただ歩いているだけで楽しい。夜になって人がいなくなった旧市街は静か(というか全くの無音)で、自分の靴音が反響してコツコツとやけに大きく聞こえるのが印象的だった。

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カール・ツァイス。ここはスポーツオプティクスの拠点とのこと。実はオスカー・バルナックも小型カメラを試作する前はカール・ツァイスで働いていたらしい。

カール・ツァイス。ここはスポーツオプティクスの拠点とのこと。実はオスカー・バルナックも小型カメラを試作する前はカール・ツァイスで働いていたらしい。

顕微鏡等を扱うライカマイクロシステムズ社(旧エルンストライツ光学研究所)。ここがライカの原点。ちなみに今はライカカメラ社は別法人となっており、同じくヴェッツラー市内にあるがここからは少々離れている。

顕微鏡等を扱うライカマイクロシステムズ社(旧エルンストライツ光学研究所)。ここがライカの原点。ちなみに今はライカカメラ社は別法人となっており、同じくヴェッツラー市内にあるがここからは少々離れている。

旧市街

旧市街

旧市街

旧市街

ラーン川。この石橋のあたりは夏はビアガーデンの会場になる。

ラーン川。この石橋のあたりは夏はビアガーデンの会場になる。

ヴェッツラー大聖堂(工事中)

ヴェッツラー大聖堂(工事中)

この金属プレートは、ここが1914年にオスカー・バルナックが35mmカメラの試作機「ウル・ライカ」で撮影を行った場所であることを示している。

この金属プレートは、ここが1914年にオスカー・バルナックが35mmカメラの試作機「ウル・ライカ」で撮影を行った場所であることを示している。

上の金属プレートの脇には、ライカカメラ社による説明用の看板が出ていた。この辺りをアイゼンマルクト広場と呼ぶらしい。

上の金属プレートの脇には、ライカカメラ社による説明用の看板が出ていた。この辺りをアイゼンマルクト広場と呼ぶらしい。

看板のオスカー・バルナックが撮影したとされる写真部分を拡大してみる。味のある良い写真だ。

看板のオスカー・バルナックが撮影したとされる写真部分を拡大してみる。味のある良い写真だ。

真似して撮影してみた(ソニーのα7Ⅲで)

真似して撮影してみた(ソニーのα7Ⅲで)