脱力系ぷかぷかドイツ日記

省エネぬくぬくドイツ暮らし

ヘッセン州の田舎町でデジカメの開発してます

はじまりの日

 2週間前の金曜の夜フランクフルトから帰宅する際、駐車場から出るときに後方不注意で後ろに停まっていた車にぶつけた。駐車場内にガチャンと大きな音が響いた。通行人があーやっちゃったという顔でこっちを見ていた。車の中でしばらく動けなくなるくらいブルーになった。ただでさえ忙しいのに、自分で面倒を呼び込んだことに激しい怒りを感じた。車の持ち主は戻ってくる気配もなかったから、持っていたレシートの裏に電話番号を書いて、それをワイパーにはさんだ。そして自宅まで60キロの道のりをアクセルを思い切り踏み込んで走った。気が触れたように大きな音でファンクミュージックを流しながら。翌日車の持ち主から電話があった。僕は何度もアイムソーリーと言った。

 そしてその4日後は誕生日で、34歳になった。ここ数年は一歩一歩着実に進んできた。一方で途方もなくくすぶっているような気もずっとしていた。仕事自体は楽しくやっている。でも言葉は不自由だし、ドイツ生活に慣れるまである程度時間とエネルギーを必要とした。自分のやりたいことは制限せざるを得なかった。外国で働いて生きて、この先に何があるだろうとぼんやりと思うことがある。鏡の中の自分の姿や、友達との会話の内容の変化に、みしみしと音をたてて老いゆく自分を感じている。早く早く!と自分の中で声がする。今のペースじゃ間に合わない、と。でも一体どこへ向かっているのか?一つはっきりしているのは"海外で生活する事"自体はもともと目的ですらなかったということだ。

 昔20台の前半あたり、まだ学生だったころ、30歳になったら死んでもいいや、と本気で思っていた日々があった。僕は体の一部に手術の後遺症による軽い障害があって、その頃の僕は30歳になるあたりで徐々に生活に支障をきたし始めるだろうと思い込んでいたからだった。もちろんたまらなくつらかった。当時の自分を救ったのは、将来物書きになって障害と共に半ば引きこもりのように生きていくイメージだった。昔から憧れがある北海道のとある街に小さなアパートを借りて、誰とも口を聞かず、朝から晩まで文章を書く。アパートの周りには何もなくていい。雪だけ積もっていればいい。夜は煙草を吸って酒を飲んで寝る。物書きとして売れれば人生は続く。自分の体にはそのスタイルしかない、と思った。元気なうちは会社に勤めて、いつか来る北海道行きのために金を貯めるつもりでいた。当時そのイメージはしっかりと成立していたが物書きとしてやっていける自信があるわけでは全くなかった。実際にその計画を実行すれば、貯金が尽きたら死んでしまう。でもそうなっても構わないと腹からそう思っていた。あの頃に人間は皆自由なのだということを学んだと思う。そのイメージは僕に生きる力をくれた。どんなに辛いことがあっても、それは北海道の小さなアパートにたどり着くまでのただの過程に過ぎなくなった。しかしごまかしきれない一つの矛盾が心に暗い影を落とし続けた。北海道に行って物書きになる、そこまではいい。で、いったい何を書く?

 その頃のイメージは今でもまだ僕の中で生き続けている。でも僕は30歳になった年会社を辞めて、北海道ではなくフィリピンに語学留学に行った。それは予想に反して体の状態はまだそれほど悪くなかったので、そんな極端な"自殺"をする必要がないと思ったからだ。それと環境を変えて一旦全てをリセットしたかった。当時の開発の現場は忙しく、長時間労働の中で自分の人生のコントロールを完全に失っていた。フィリピンで英語を身につけて、海外の落ち着いた職場を見つけることに光明を見た。その後のことはそこまでいってから考えればいい、と思った。そして紆余曲折を経てドイツにたどり着いた。

 僕は自分らしい未来を今も目指して歩いているつもりだ。今回の事故でその事を改めて感じることになった。自分に対して感じた激しい怒りは、いつまで経っても始まらない"本当の人生"に対する焦りからくるものだった。

 その後だだだっと集中して事故処理を終わらせた。書類をひっくり返し、保険会社に電話し、被害者の方には改めて謝罪と保険証券番号を伝えた(幸運なことに車の修理は全て保険でまかなえる見込み)。終わってしまえば手続きはそう大変ではなく、あんなに憂鬱になる必要はなかった。何もない毎日の中のほんの数日が意味のない事故のせいでつぶれただけだ。それで上等だ、と思った。

 Youtubeで最近見たイースタンユースのライブドキュメンタリーの中で、吉野寿が発作で倒れて死にかけたとき、「こんなとこで死ぬのか、と思った」と言っていた。サビに行く前のメロだと思っていた"現在"は実はサビだったことに意識を失う直前に気づいた、と。その生々しさがしばらく僕の頭にこびりついた。でも後から、人間が生きて死ぬことが実際にはその程度のことであること位、ずっと昔から知っているような気もした。

 今はここにあるものをしっかりと見て感じていよう、と思った。本当の自分なんてここ以外にいやしないのだから。そんな当たり前のことに気がついた数日だった。それにこの生活の中に、生きがいを見つけないとも限らない。どこに行っていいのか分からないなら、どこにでも行けばいい。何を書いていいのか分からないなら、なんでも書けばいいじゃないか。

 仕事でもごたごたがあってアントワープまで緊急で行ったり、誕生日はなんやかんや大混乱で過ぎ去った。そして一昨日から連休に入り、散らかった部屋を掃除して少し落ち着いた。

 行くあてのない日々はどこまでも単調に続いていくように見える。それでも今日一人で店に入ってビールを飲んだら本当に旨くて、また頑張ろうと思った。今日が新しい自分のはじまりの日だ。失敗することを怖がらずに生きていきたいと思う。

              f:id:Daturyoku_Pukapuka_32:20191005182313j:plain