脱力系ぷかぷかドイツ日記

ドイツに移住した30代エンジニアのぷかぷか日記です。

ぷかぷかイタリア旅行 ③ヴェネツィア

2019年12月14日~21日までのイタリア旅行の記録。

ローマ(2泊)→フィレンツェ(3泊)→ヴェネツィア(2泊)

 

③ヴェネツィア

 ヴェネツィアでは旅行の一ヶ月前に高潮による深刻な被害(過去50年で最悪だったらしい)が出ていたため、まともに観光できないことも覚悟していたが、幸運なことに復旧が大分進んでいた。ニュースで完全に浸水したと伝えられたサン・マルコ寺院も観光客で賑わっており、主要なスポットには問題なく入ることができた。
 "水の都"と呼ばれるこの島は海抜が低いがゆえにこれまでも度々高潮による被害に見舞われてきた。建物の地上入り口には水の侵入を防ぐパーテーションが設置されており、それをまたいで入っていかなければならない。島内には水路が張り巡らされており、移動手段は主に水上バスとなる。地上を車が全く走っていないためとても静かだ。周囲10kmやそこらの小さな島なのに、スーパーやレストランが割りと沢山目につき、有名ブランドのアパレルショップが立ち並ぶショッピングエリアまであったのは意外だった。あそこまで充実していれば、必要なものは大体何でも島内で手に入るはずだ。結構規模の大きい大学もあるらしく、そこにはなんと日本語学科まで存在する(!)ということだ。
 滞在していた間、空は分厚い雲で覆われ霧のように細かい雨が一日中降っていて傘をさしたり閉じたりしながらの観光となった。路地は細く入り組んでおり、Google Mapを見ながら歩いてもGPSの精度が追いつかずなかなかに苦戦した。日中には水上バスで近隣の島にも足を伸ばした。ガラス細工で有名なムラーノ島と、カラフルな家々が並ぶブラーノ島だ。特にブラーノ島は"インスタ映え"するスポットとして知られ、主に韓国人や中国人がこぞって写真を撮っていた。(今や地球規模で見られる現象だ)
 辺りが暗くなると、ヴェネツィアの中心を流れる大運河沿いのライトアップは、濃い霧の中でソフトフォーカス気味に反射してきれいに光った。そんな時は特に「この島に長くはいられない」と思わざるを得なかった。静かで美しすぎるがゆえに避けがたく憂鬱になるような、そんな気がしたからだ。
 また、ヴェネツィアは治安が良いことでも知られている。大陸と分断されていることは、かつてヴェネツィア共和国として独立していた頃からのカルチャーや雰囲気を保存するのに一役買っているのだろう。
 
 ちなみに帰国する日の朝、僕と友達二人とも原因不明の発熱と下痢に襲われた。僕の場合はおまけに鼻血まで出た(笑) きっと前日までの食事のせいだと思うけど、可能性としては下の3つ。
 
・ヴェネツィア名物ポレンタ料理(とうもろこしの粉を煮込んだもの)
・アイスクリーム
 →マグナムの実店舗が何故かヴェネツィアにあった。味やトッピングを自分好みにオーダーでき、オリジナルマグナムを作ってくれる
・ビリヤニ
 →イタリア料理に飽きたということで、最後のディナーはインド料理を食べた(今思えば意味不明)
 
結局どれが犯人だったのか。。全部美味かったから疑いたくないが(笑)
 さらにもう一つ、最終日に困難が待ち受けていた。前の日に夜通し雨が降ったため、またもや町が浸水したのだ! しかし取り乱していたのは我々だけで、朝ホテルをチェックアウトした頃には既に路地という路地に幅1mほどの足場が張り巡らされており、皆その上を平然と移動していた。結局あの光景がヴェネツィアの強さを象徴する、旅のハイライトだったと今では思う。(僕はスーツケースを持っていたのと体調不良で移動は大変だった。。) 飛行機は無事飛んだので日程に影響はなかったが、あの後島はどうなったのだろう? 雨が止みそうになかったから被害が出てないといいけど。。
 

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ぷかぷかイタリア旅行 ②フィレンツェ

2019年12月14日~21日までのイタリア旅行の記録。

ローマ(2泊)→フィレンツェ(3泊)→ヴェネツィア(2泊)

 

②フィレンツェ

 フィレンツェは町自体が世界遺産に登録されており、"花の都"と言われるだけあって、どことなくロマンチックな雰囲気で散歩しているだけで楽しかった。どのレストランも壁の装飾や家具にこだわりが感じられ、カラフルではあるがどこか落ち着きのある独特の色彩が特徴的だった。初日に入ったトラットリアは夫婦が二人で営んでいて、奥様は英語が苦手であることを詫びながらも、丁寧におすすめを説明してくれた。彼女の鮮やかな服はインテリアによく馴染んでいた。その店は夫婦で手作りで生み出した(世間から干渉されることのない)彼らの城なのだ、と思った。
 ローマの石畳のせいで足が痛かったのでフィレンツェ滞在中は少しペースダウンしてゆっくりと過ごした。フィレンツェのシンボルであるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、通称"花の聖母教会"の近くのカフェで足を休ませながら、敢えて持参していた「クラウン ドイツ語単語1600」を黙々と勉強したのはいい思い出だ(笑) ピサには鉄道で行って、斜塔とドゥオーモだけ見て日帰りでフィレンツェに戻ってきた。
 シンボルの聖母教会は建設に175年(!)かかったらしい。ということは若い時からずっと建設に携わっておきながら、完成した姿を見ることなく死んでいった者も沢山いたのだろう。想像を絶する作業だ。
 現代ではどんな国でも建設に175年かかるプロジェクトに予算はつかないだろう。例えば日本の国土交通省に、建設担当者が(老衰によって)まるっと途中で入れ替わる計画を立てるなんて芸当はできっこない(笑) さらに、驚くべきことに最近のある中国メーカーの発表によると、建築用3Dプリンターを使えば24時間以内に家が一軒建つらしい。今は合理性が優先され、クリアな青写真が描けないプロジェクトは排除される時代だ。
 昔はよかった、という話ではない。変な言い方だが逆に計画なんて立てずに作業をしたからこそ聖母教会は完成したのではないか、ということである。ルネッサンスの立役者達は"価値あるものをつくる"という点で恐ろしくピュアだった。それが自分の目でフィレンツェを見てきた一番の印象だ。どのくらいの時間やコストがかかるかという問題は、彼らには二の次だったのだろう。もちろん当時の宗教的・政治的要請と創作は切り離せないだろうけれど、彼らの志は創作物の隅々に行き渡っている。特に聖母教会の緻密な外壁は見ているだけで時を忘れてしまうほど素晴らしかった。
 

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ぷかぷかイタリア旅行 ①ローマ

2019年12月14日~21日までのイタリア旅行の記録。

ローマ(2泊)→フィレンツェ(3泊)→ヴェネツィア(2泊)

 

①ローマ

 旅行ガイドブックにはローマと東京の気候は似ていると書いてあったが、現地に着いてみると湿度が低いせいかびっくりするほど寒かった。街全体が観光地という雰囲気で、オフシーズンにもかかわらずどこに行っても人でごった返している。お世辞にも居心地がいいとは言えない。「ローマの休日」の舞台となったスペイン広場では、階段に座って休んでいるだけで警備員に注意される(された)。ローマ市職員や地元民が、押し寄せる観光客から、街の遺産や景観を全力で守ろうとしているようだ。(そういえば村上春樹は昔イタリアに数年滞在していたとき、諸事情でローマに住まざるを得なかったらしいが、その騒々しさにうんざりして、暇さえあればそこから"脱出"しトスカーナ地方の田舎を旅行してまわった、とある紀行文で書いている)。

 バチカンも含めて、二日間で主要名所を観て回った。印象的だったのは、歩道はもとより車道にまで広いエリアに石畳が未だ残っていることだ。車が近づいて来るとタイヤが「がーっ」とやかましい音をたてるせいで、(同行した友人との)会話を中断せざるを得なかった。タイヤにも悪いし、それこそ石畳が剥がれたら危険だ。それでもアスファルト舗装するなんてことは、古くから続くローマのプライドが許さないのだろう。

 個人的に好きだったのはトラステヴェレ地区だ。典型的な市街地と違い、路地裏にピッツェリアがびっしりと並び、ローカルな雰囲気が漂っていた。ランチのポルチーニ入りピザは絶品だった。

 石畳の上を歩き続けたおかけで、後のフィレンツェ巡りに支障をきたすほどに足が疲労したが、ローマにある数々の歴史的遺産の持つ迫力は圧倒的で、一見の価値があるものばかりだった。路地を抜けると突如目の前に威圧的なほどに荘厳な建物が現れて言葉を失う、ということが何度もあった。今回標準ズームレンズ一本という装備だったけど、広角レンズがあったらもっといい写真とれたのになぁ。もっとも写真では結局、ローマのエッセンスとも言うべき"古代からのオーラ"のようなものが、十分に伝えられないような気もするけれど。

 

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”突然フルマラソン”は今年の大晦日に、やりません

去年の大晦日に偶然発見して、このおっさん結構すげーなと思ったブログ。一年経って急に思い出しました。"突然フルマラソン"なるものを来る大晦日に俺がドイツでやるとしたら、休憩の時の松屋の代わりはシュニッツェルのフライドポテト添えになるでしょうか(マラソン中には重い)

まあ、やらないんですけどね(笑)

lineblog.me

町田くんの世界

 今月休暇をとって日本に帰国した際、往復の飛行機の中では映画を見ていて合計8本くらい見た内の一本が「町田くんの世界」。最高だった。見たあとにネットで調べて知ったけど、同名の少女漫画が原作らしい。不器用だけど純粋な思いやりを持った男子高校生が、周囲のすれた同級生や大人達を少しずつ変えていく話。最後にはこの男、恋をしたパワーで空まで飛んでしまう。

 飛行機の中では他に、ハリウッド映画とかの話題作もたくさん見たけど、小難しい知識やストーリーで視聴者を感心させようとする映画や、社会問題を背景にしたいかにも優等生が撮ったような映画ばかりで結構うんざりした。それらと比較すると「町田くんの世界」は明らかにシンプルだ。うるさい知識も時事ネタも目を引く映像技術もない。まともなストーリーすらもない。でもそこにはみっともないほどストレートな人間愛があった。思わず二回見てしまうほどに、熱くて、しょうもなかった。こんな映画を真剣に作る人達が日本にもまだいるということが嬉しかった半面、(変な言い方だが)先を越されている気がして悔しかった。というのも人を感動させる何かをしたい、と俺はいつも思っているから。特に、アホなことをして誰かを笑わせたり元気づけられたりしたら最高だ。そんな自分の理想に近いイメージがこの映画の中に描かれていた。

 

 人を感動させたいなら、まず自分が人一倍勇気を持って生きることだ。みっともなくてもいいし、間違えたっていい。そしてシンプルに生きること。とにかくどうでもいいことが多すぎる時代だから。現代人は「考えている」ように見えて実は「考えさせられている」ということがほとんどで、話題に挙がることはことごとく、ポストに入ってはゴミ箱に回帰するクーポン券のようなものばかりだ。そんな一時的(対症的)なものにいちいち気をとられていたら、その辺にたくさんいる河童みたいな大人になってしまうよ(頭部だけでなく)。俺は自分の場所にどしっと構えて、自分色に輝く星になりたい。人生は一瞬の、星の瞬きそのものだ!そして、映画監督の園子温は子供の頃全裸で外を歩いていたらしい!なぜ今ここでこんな知識を書いたのかはわからない、でも彼は子供の時からこの世界には実は何も(することが)ないことを感じていたのではないか。本物の感受性とは宇宙からのメッセージを受信するアンテナのようなものだ。

 映画のレビューになってないけど、そんなことには最初からやる気がない。とにもかくにも、星になりたい。星になりたい!くそくらえ!

 

 「町田くんの世界」は石井裕也監督の作品。「夜空はいつでも最高密度の青色だ」も石井監督だったみたいで、そういえばこれ映画館で暇潰しで見てその後ずっと余韻が残っていた。石井監督の作品、さかのぼって色々見てみようかな。

 

町田くんの世界

町田くんの世界

 

 

はじまりの日

 2週間前の金曜の夜フランクフルトから帰宅する際、駐車場から出るときに後方不注意で後ろに停まっていた車にぶつけた。駐車場内にガチャンと大きな音が響いた。通行人があーやっちゃったという顔でこっちを見ていた。車の中でしばらく動けなくなるくらいブルーになった。ただでさえ忙しいのに、自分で面倒を呼び込んだことに激しい怒りを感じた。車の持ち主は戻ってくる気配もなかったから、持っていたレシートの裏に電話番号を書いて、それをワイパーにはさんだ。そして自宅まで60キロの道のりをアクセルを思い切り踏み込んで走った。気が触れたように大きな音でファンクミュージックを流しながら。翌日車の持ち主から電話があった。僕は何度もアイムソーリーと言った。

 そしてその4日後は誕生日で、34歳になった。ここ数年は一歩一歩着実に進んできた。一方で途方もなくくすぶっているような気もずっとしていた。仕事自体は楽しくやっている。でも言葉は不自由だし、ドイツ生活に慣れるまである程度時間とエネルギーを必要とした。自分のやりたいことは制限せざるを得なかった。外国で働いて生きて、この先に何があるだろうとぼんやりと思うことがある。鏡の中の自分の姿や、友達との会話の内容の変化に、みしみしと音をたてて老いゆく自分を感じている。早く早く!と自分の中で声がする。今のペースじゃ間に合わない、と。でも一体どこへ向かっているのか?一つはっきりしているのは"海外で生活する事"自体はもともと目的ですらなかったということだ。

 昔20台の前半あたり、まだ学生だったころ、30歳になったら死んでもいいや、と本気で思っていた日々があった。僕は体の一部に手術の後遺症による軽い障害があって、その頃の僕は30歳になるあたりで徐々に生活に支障をきたし始めるだろうと思い込んでいたからだった。もちろんたまらなくつらかった。当時の自分を救ったのは、将来物書きになって障害と共に半ば引きこもりのように生きていくイメージだった。昔から憧れがある北海道のとある街に小さなアパートを借りて、誰とも口を聞かず、朝から晩まで文章を書く。アパートの周りには何もなくていい。雪だけ積もっていればいい。夜は煙草を吸って酒を飲んで寝る。物書きとして売れれば人生は続く。自分の体にはそのスタイルしかない、と思った。元気なうちは会社に勤めて、いつか来る北海道行きのために金を貯めるつもりでいた。当時そのイメージはしっかりと成立していたが物書きとしてやっていける自信があるわけでは全くなかった。実際にその計画を実行すれば、貯金が尽きたら死んでしまう。でもそうなっても構わないと腹からそう思っていた。あの頃に人間は皆自由なのだということを学んだと思う。そのイメージは僕に生きる力をくれた。どんなに辛いことがあっても、それは北海道の小さなアパートにたどり着くまでのただの過程に過ぎなくなった。しかしごまかしきれない一つの矛盾が心に暗い影を落とし続けた。北海道に行って物書きになる、そこまではいい。で、いったい何を書く?

 その頃のイメージは今でもまだ僕の中で生き続けている。でも僕は30歳になった年会社を辞めて、北海道ではなくフィリピンに語学留学に行った。それは予想に反して体の状態はまだそれほど悪くなかったので、そんな極端な"自殺"をする必要がないと思ったからだ。それと環境を変えて一旦全てをリセットしたかった。当時の開発の現場は忙しく、長時間労働の中で自分の人生のコントロールを完全に失っていた。フィリピンで英語を身につけて、海外の落ち着いた職場を見つけることに光明を見た。その後のことはそこまでいってから考えればいい、と思った。そして紆余曲折を経てドイツにたどり着いた。

 僕は自分らしい未来を今も目指して歩いているつもりだ。今回の事故でその事を改めて感じることになった。自分に対して感じた激しい怒りは、いつまで経っても始まらない"本当の人生"に対する焦りからくるものだった。

 その後だだだっと集中して事故処理を終わらせた。書類をひっくり返し、保険会社に電話し、被害者の方には改めて謝罪と保険証券番号を伝えた(幸運なことに車の修理は全て保険でまかなえる見込み)。終わってしまえば手続きはそう大変ではなく、あんなに憂鬱になる必要はなかった。何もない毎日の中のほんの数日が意味のない事故のせいでつぶれただけだ。それで上等だ、と思った。

 Youtubeで最近見たイースタンユースのライブドキュメンタリーの中で、吉野寿が発作で倒れて死にかけたとき、「こんなとこで死ぬのか、と思った」と言っていた。サビに行く前のメロだと思っていた"現在"は実はサビだったことに意識を失う直前に気づいた、と。その生々しさがしばらく僕の頭にこびりついた。でも後から、人間が生きて死ぬことが実際にはその程度のことであること位、ずっと昔から知っているような気もした。

 今はここにあるものをしっかりと見て感じていよう、と思った。本当の自分なんてここ以外にいやしないのだから。そんな当たり前のことに気がついた数日だった。それにこの生活の中に、生きがいを見つけないとも限らない。どこに行っていいのか分からないなら、どこにでも行けばいい。何を書いていいのか分からないなら、なんでも書けばいいじゃないか。

 仕事でもごたごたがあってアントワープまで緊急で行ったり、誕生日はなんやかんや大混乱で過ぎ去った。そして一昨日から連休に入り、散らかった部屋を掃除して少し落ち着いた。

 行くあてのない日々はどこまでも単調に続いていくように見える。それでも今日一人で店に入ってビールを飲んだら本当に旨くて、また頑張ろうと思った。今日が新しい自分のはじまりの日だ。失敗することを怖がらずに生きていきたいと思う。

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夏物語 川上未映子

 この小説は精子提供をテーマに現代の世相を反映した作品です。主人公は30代の独身女性で、且つある事情で性行為ができないのですが、子供を持つことを望み精子提供の道を探りはじめます。私としては今までノーマークだったテーマですが、この小説をきっかけに現在は精子提供でものすごい数の子供が生まれていることを知りました。今はもうパートナーがいなくても、女性がそう望めばシングルマザーになれる時代なのです。

 女性が精子を手に入れる方法はいくつかあるようですが、病院や精子バンクの他に精子提供ボランティアがあります。つまり子供を望む女性に、赤の他人である男性が排出済みの精子を注入器具と共に渡すのです。たとえばこの記事の男性は26歳にして40人以上の父親(!)で、性病検査結果など精子のデータまでつけて無償で提供しているそうです。トラブルを避けるために匿名を通しているようですが。

times.abema.tv 私はモラルの議論については特に関心はありません。両親の間に愛がなければ子供はまともに育たないだとか言う人もいるのでしょうが、そんな事数えきれないくらい例外はあるのですから。当事者が納得するなら精子提供ボランティアに問題はないと私は思います。(もちろん、生まれてきた子供が大きくなって自分の出自をどう思うかは別問題ですが。これも今回の小説のテーマです。)

 それより私がひっかかるのは、親になる大人達のモチベーションです。この男性は自分が死ぬ前に「世界に何かを残したい」といって精子提供をはじめた、と言っています。そして女性側はパートナーを持つことをすっとばして、いきなり子供を望むのです。その体の半分が自分の知らないところから来ることになっても、です。こんな時代ですから、シングルマザーとして子供を育てることがとてつもなく大変であることは皆認識しているはずです。私は子供を持つことに関心がないので、彼ら彼女らはあまりに自分と違って、「本当には何がしたいのか」と正面切って考えようとしても、どうにもうまくいかないのです。。世界に何かを残したいと思うのは自然な発想ですか。そしてそれは誰のためなんだろうか。自分のため?子供のため?(批判しているのではありません。)

 全く話は変わりますが、この小説の中でNASAのボイジャー宇宙探査機の話が出てきます。この無人探査機は1977年に地球を飛び立ち、既に惑星探査のミッションは終えましたが、今も地球と交信しながら宇宙空間で飛行を続けており、地球から飛び立った人工物の中で最も遠い場所にあります。現時点で地球から二百億キロ離れているらしい。そしてボイジャーが物体(つまり恒星)とすれ違う間隔は数万年おきらしく、その間はただ暗闇が広がっているだけで本当に何もないらしいです。この小説の中である登場人物が昔父親にボイジャーの話を聞かされて、ボイジャーに比べたらお前の孤独など大したことない、だから元気を出せ、と度々言われたことを回想するシーンがあり、ここがとても好きでした。この場面で、ボイジャーが地球外知的生命体に向けたいわゆる"地球のタイムカプセル"を積んでいることも触れられています。黄金色のレコードの中には地球の自然や、人類の文化に関する様々な音や画像が納められています。遥かずっと先の未来に太陽が燃え尽きるときが来て、銀河系自体もなくなるときがやってきて、でもその時もボイジャーだけは銀河系の外側を直進するのです。地球に人類が存在した唯一の"記録"と共に。

 私は普段未来の世界について、あまり考える機会がありません。というか自分自身の将来のことさえ、意図的に考えないようにしています。それより今だけに意識を集中したほうが、物事が上手くいくことを学んできたからです。でもこの小説では子供の話にしろ、ボイジャーの話にしろ、死後の世界に対する想像や具体的な行動が、当人の今まさに生きている人生に分かちがたく影響する様が描かれていました。そして、誰しもが人生のどこかの段階でそういう想像力を持ち得るのかもしれないという(私にとっては)斬新な予感を、読み進める間中覚え続けました。

 私は子供が欲しいと思ったことはないけど、いつか気になったりするのかなぁ。。?もしくは例えばその辺にいる子供達の未来への心配が、自分の生き方を変えるかもしれない。今のところ私が考えることと言ったら、奨学金と車のローンは必ず払い終えて周囲に迷惑をかけずに死にたいということだけです。スケールが小さいですね(笑)

 ボイジャーのレコードには当時のアメリカ大統領の言葉も電子的メッセージとして収録されていて、これを読んだとき気持ちが軽くなった気がしました。人類が生きる意味が、このコンパクトな文章の中に絶妙に表現されていると思ったからです。

 

「これは小さな、遠い世界からのプレゼントで、われわれの音・科学・画像・音楽・考え・感じ方を表したものです。私たちの死後も、本記録だけは生き延び、皆さんの元に届くことで、皆さんの想像の中に再び私たちがよみがえることができれば幸いです。」

アメリカ合衆国第39代大統領ジミー・カーター (Wikipediaより抜粋)

 

 

夏物語

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