脱力系ぷかぷかドイツ日記

脱力系ぷかぷかドイツ雑記帳

ヘッセン州の田舎町でデジカメの開発してます

映画)フレディ・マーキュリー:キング・オブ・クイーン__ジョーダン・ヒル__2018

 

 イギリスのロックバンド「クイーン」のドキュメンタリー。ボーカルのフレディ・マーキュリーの生涯――ザンジバルで生まれ、HIV合併症で45歳の若さで亡くなるまで――をライブ映像と彼をよく知る人々へのインタビューを交えて振り返る。

 

 フレディ・マーキュリーといえばロックでワイルドなイメージだったが(僕には)、実は内気で繊細な彼の性格がよく分かる。

 
 印象的なのは、彼がバイセクシュアルであることをカミングアウトできずに思い詰めていたというエピソード。結局彼の性的指向はHIV感染を招いてしまう結果となるのだが、自身の病についてもバンドのメンバーにすら死の直前まで明かすことはなかった。本作では、性的マイノリティが70年代の音楽シーンでどのようにとらえられていたか、またHIV感染が深刻な社会問題となっていた当時の囲気を感じることができる。
 
 LGBTについて良く語られる昨今だが、その実際のとらえられ方は国や世代によって未だに大きな差があるように感じる。聞いたところによると例えばオランダではカミングアウトを受けたとき、"眉ひとつ動かさない"ことが紳士・淑女の態度だとされているらしい。まさにリベラルの誇りといった感じで、本当に素晴らしいと思う。

映画)誰のせいでもない__ヴィム・ヴェンダース__2015

www.transformer.co.jp

 
 本作はヴィム・ヴェンダースの結構最近(2015年)の映画で、なかなか良かったです。
 
 舞台はカナダの田舎町。ある日主人公は雪道を運転中に、ソリに乗って飛び出して来た小さな子供を轢き殺してしまう。それは実際タイトルの通り"誰のせいでもない"事故だったが、その日を境に主人公はもとより、その恋人、また事故で亡くなった子供の母親は絶望の中をさ迷うことになる。心に深い傷を負った登場人物達が、痛みを引きずって生きていくその後の12年間を描く。
 
 僕はもともと「何かが永遠に続く」ということが怖い。交通事故で子供が死んだら、加害者はずっと加害者のままだし、被害者はずっと被害者のままだ。我々は一度起きたことはもう二度と元には戻らない残酷な世界を生きていて、そしてそんな不幸な出来事に限って何の前触れもなく起きたりするものだ。
 
 人間関係でもそう。不用意に何かを言ってしまえば、言われた側の心に永遠に影を落とすかもしれない。本当に怖いのは人に自分が傷つけられることではなく、自分が人を傷つけてしまう事だ。この映画を見て改めてそう思った。
 
 ちなみにこの映画の原題は『Every Thing Will Be Fine』と邦題とは違ってポジティブなもので、登場人物達は長い時間をかけて絶望から這い上がり、それぞれの人生を生きていく。その様も中々見ごたえがあります。
 
 ヴィム・ヴェンダースは『パリ、テキサス』を見て以来好きになった監督だが、彼がデュッセルドルフ出身ということは実は今日Wikipediaを見るまで知らなかった。デュッセルドルフは古くから日本人コミュニティが存在する街で、彼は小津安二郎のファンを公言しているし割に日本に馴染みが深いのかもしれない。
 
 ヴィム・ヴェンダースは写真家としても活動しているようで、ネットでちらっと見てみたらまるで自身のロードムービーに出てきそうな風景写真がいくつか出てきた。ベルリンとかで写真展を開いているようなので、いつか行ってみたいな~

変わりゆく自分と今の率直な気持ち

 先月引っ越したばかりで家にまだ洗濯機がなかった頃、初めてコインランドリーに行ってみたのだけれど、案の定表記がドイツ語で使い方が分からなかった。そこですかさず洗濯が終わるのを待っている人のところに行って「英語は話せますか?使い方を教えてくれませんか?」と訊いた。こういう時に少しずつ性格が変わりつつある自分に気がつく。以前の自分ならきっとそんなことはしない。こういう局面では引っ込み思案になるタイプだから。
 
 この変化の理由として英語が上達してきたのもあるけど、ドイツではこういうインタラクションはごく自然な事だと分かってきたのが大きい。外を歩いていると「駅はどっちですか」とかよく訊かれるし、カフェで隣に座った人と会話が始まることもある。とにかくインタラクションが多い。パン屋でパンを選んでいるときに、はしごに登って何やら作業中の店員に「これ、そこのゴミ箱に捨てて」とゴミを渡されたこともある。(僕がゴミ箱の横に立っていたから。) 捨てたは捨てたけど、一瞬「はっ!?」と固まった(笑) もし日本で客にそんなことをさせたらクビになるよ(笑) つまり、ここでは皆がオープンに関係しあって生きているのだ。良く言えば助け合っているし、悪く言えば迷惑を掛け合っている。
 
 その日僕が話しかけたのはシリア人で、快くランドリーマシンの使い方を教えてくれた。僕は洗剤を持っていなかったが、彼のを分けてくれた。洗濯が終わるまで2人でいろいろな話をした。レバノンの爆発事故の事やドイツ語の勉強方法について、この町にあるおすすめレストラン、等々。彼は僕とほぼ同世代で、母国に家族を残して単身出稼ぎに来ているようだった。彼は日本人と初めて話したらしく、僕のパスポートを羨ましがった。シリアのパスポートでは一部主要国に入れないからだ。パスポートを見せてやると、感心したようにしげしげと眺めていた。お礼をしないといけないのは僕の方なのに彼は缶ジュースまでおごってくれた。その日はとても暑かったので、一気に飲んでしまった。(知らない人にパスポートを見せたり、もらったジュースを飲んだりとかは本当はしない方がいいのだけれど、この日は例外)。洗濯が終わったら飯に行こうと誘われたのだが、予定があって行けなかったのが残念だ。
 
 ドイツに来て2年、度々このような親切に助けられてきた。特にアジアや中東からの移民は本当に良くしてくれる。縦列駐車で手こずっているとき、通りに面した店から走って出てきて駐車を代わってくれたトルコ人もいた。苦労を味わっている移民同士の絆のようなものも少しあるのかもしれない。今となっては僕自身もここでサバイバルしている全ての移民をリスペクトしているところがある。いくらドイツが寛容な国と言ったって、社会情勢が悪化すれば直ちに移民にしわ寄せが行く厳しい側面もあるのだから。その上言葉の問題もあるのにこの人達は皆よくやっているなぁと思う。
 
 
 ところで、前のアパートの鍵の引き渡しも完了してようやく強制退去事件は一件落着となった。最終的にはオーナーにきちんと挨拶(謝罪)をして、後腐れなく終わった。
 
 今年の夏もたくさんのビールを飲んだ。自分の体をあちこち触るとなんとなく柔らかいというか、気持ちいいというか、「ああ、この辺はビールなんだな」と思う(やばい)

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本)個人的な体験__大江健三郎__1964

個人的な体験 (新潮文庫)

個人的な体験 (新潮文庫)

  • 作者:大江 健三郎
  • 発売日: 1981/02/27
  • メディア: ペーパーバック
 

 今年の夏休みは昼間に引っ越し作業をして、夜はビールを飲みながらこの小説を読むのが楽しみだった。

 大江健三郎には知的障害の息子がおり、彼との共生の体験を元に書かれた小説らしい。小説に出てくる赤ん坊は息子の大江光と同じ脳ヘルニアである。大江光は障害を持ちながらも作曲家として活躍することになるけれど、まだ生まれたばかりの赤ん坊の時、医者から障害の詳細を知らされた大江健三郎は、人生で最初で最後の"体が動かなくなるほどの絶望"を味わったという。(ベッドに突っ伏したまま20分くらい金縛りの状態になったとのこと)。

 本書はそんな絶望の最中で書かれた。後に自身で語っておられるが、最終的に赤ん坊の手術が成功し退院するという筋書きはどうしても譲れなかったようだ。それは息子の明るい将来を願う書き手自身の希望そのものだった。

 しかし僕自身は読みながら「そんな単純な話なのだろうか?」という思いが頭をもたげた。というのも、小説中の赤ん坊は生まれたばかりの時に既に医者から「すぐに死んでしまうか、一番良くても植物状態として生きることになる」と宣告を受けているからだ。そんな赤ん坊に無理矢理手術をして生き延びさせるのは、人として全うなのだろうか?そんなことをすれば子も親も文字通り忍耐の人生を生きていくことになるが、そこに敢えて立ち向かっていくのが本当に大人になるということなのだろうか。

 事実この小説の結末は"軽率なハッピーエンド"としてかなり批判を受けたようだ。(最も著者は上記の通り、批判を覚悟でそのように書いたのだが)

 障害があってもなくても生きていくことが辛いのは皆同じなのだからどんな赤ん坊にも延命治療を施すべきだ、という考え方は流石に乱暴だと感じる。一方で生きるのに苦労するから障害者は皆生まれてこない方が良いと考える社会は異常だ。

 主人公が本当にはどう振る舞うべきなのか小説を読み終えても遂に結論は出なかった。ただ一つ確かなものを感じたのは、主人公が赤ん坊の人生を引き受けると腹をくくるシーン。赤ん坊を衰弱死させて面倒から逃げ切っても、その先の自分の人生は偽りだらけの意味のないものになると思ったときに彼は、赤ん坊の命を手術で救うと決める。この判断の是非はともかく、「ただ自分自身が生き延びるために生きる人生」の空虚さに比べたら、問題を抱えて正直に生きる(例えば、脳みそが飛び出した赤ん坊と共に生きる)ことくらい大したことではないのかもしれない。

サイレント夏休み

 今月前半は夏休みをとって、地味に一人で引っ越し作業をしていた。例年ドイツの夏は涼しくて朝晩は半袖だと寒いくらいの日もあるのだけれど、今年の夏はすごく暑くて最高37℃まで上がった。そんな中の作業だったから結構しんどかったが、ようやく新生活に必要なものも揃い新居も大分形になってきたところである。しかしどうにもすっきりしないのが、既に空になっている前のアパートの部屋の鍵を未だに持っていることだ。退去時の立会い確認と鍵の返却のアポをとるためにオーナーに何度も打診しているのだが、もう2週間以上応答がない。。ものすごい剣幕で「You must leave immediately (すぐに出ていけ)」とのことだったから、最速のスケジュールで退去したのに、その後はシカトときた(笑) ドイツの法律上、オーナーがスペアキーで入室することは不可能なはずだから、僕が住んでいたあの部屋は次の入居者も決まらないまま、宙ぶらりんになっていると思う。それで損するのはオーナー自身のはずだが、、本当に意味不明。。でもこういうのにもそろそろ慣れてきたな。やっぱり国民性の違いもあってか、手続き関連は全てがゆっくりしている。気長に待っていれば、そのうち連絡が来るのだろう。とまあ、そんな感じでほとんど誰と口をきくこともなく黙々と作業をして2週間の夏休みは終わった。コロナでどうせ旅行には行けないから丁度良いタイミングだったのかも。

 そして今週から職場に復帰しているがこっちも相当のカオスで、今自分がかかわっている全てのプロジェクトが消滅の危機と共にかろうじて走っている(笑) 無論苦しいのはうちの会社だけではなく、もともと市場自体が縮小傾向なのに加えて、昨今の貿易制限とコロナによる買い控えが効いて、各社かなり追い込まれているようだ。ついこの間も日系のビッグネームが撤退を表明し業界に衝撃が走った。もしかしたらこれはまだ始まりに過ぎず、今後数年の間に続々と撤退のニュースが舞い込むことになるのかもしれない。そしてポイントは、現代におけるほとんどのITデバイスは複数のメーカーが協業することによって成り立っていることだ。うちの商品も例外ではなく、もし協業パートナーが撤退の判断をしたら、関係するプロジェクトは基本的にドロップする。各メーカーが何十年もの時間をかけて築いてきた協業関係がこの未曾有の局面で一気に崩壊し、業界再編が起きるかもしれない。今の状況はまさに一寸先は闇、という感じだ。

 でもこんな未来予測をして憂いてみたって、結局今後何が起きるのか誰にも分からないのだから、普段通り一歩一歩商品力を上げていくことが今は大事なのだろう。チームメンバーが皆、楽観的というかあっけらかんとした人ばかりなのは救いだ。誰も後ろ向きなことは言わず淡々と仕事をしている。この状況を乗り越えて、予定通り商品が開発され世に出ていくとしたら、、それは結構すごいことだ。

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家探しの日々

 先日ようやく新居が決まった。強制退去を告げられた時は途方に暮れたけれど、結果的に新築のアパートと契約することができた。来月上旬に引っ越し予定。フランクフルト方面に引っ越すことも考えたけど良い物件が見つからず、結局今の家から2キロくらいのところになった(笑) でも今住んでいるエリアとは大分雰囲気が違って今度は緑の多い静かな住宅街なのでストレスなく暮らせると思う。何より新築というのはやっぱり嬉しい。今の家はちょっと古いし、換気扇も動かんしね(怒)
 
 今回フランクフルトにある日系不動産業者のサポートを受けたからなんとかなったけれど、自力で家を探すのは正直結構きついかもしれない。アパートのオーナーにコンタクトする際はドイツ語でメールを書かないと返事が来ないことも多いらしいし、家が決まっても契約書はもちろんドイツ語。日系不動産の場合は仲介料を払えば全てを代行してくれ、契約書の内容も日本語で説明してくれる。今回これを機に不動産業者に気になることをどんどん質問して、ドイツ生活のあれこれを学ぶことができたのは収穫だったと思う。ついでに加入中の保険プランも見直したがやっぱり穴だらけだった。こういう小さな事が積もりに積もって、普段の生活の中で(無意識的に)大きな不安を感じていたのだ、とはっと気がついた。熟考の末、家財保険や自賠責保険にも入ることにした。ついこの前までそんな保険に入ることなんて思い付きすらもしなかったけれど。これからまた再スタートの気持ちで、きちんと生活をしたいと思う。
 
 先週の土曜日には久しぶりに日本人の友達とフランクフルトで飲み会をした。しばらくゴーストタウンのようになっていたフランクフルトも活気を取り戻し、飲食店は客で賑わっていた。てっきり3密を避けるためビアガーデンのような感じで外で飲むのだろうと思っていたら、ばっちり店の中だったのはびびった。店員がマスクをしていることと、席の間にシールドがあることを覗けば完全に日常が戻っていた。
 
 自粛期間は皆それぞれに大変だったようだ。駐在員達はコロナのせいで日本の本社への報告の頻度が上がり、普段より忙しかったらしい。一番かわいそうなのは奥さんを日本に残したまま国境が閉ざされてしまった若い新婚の駐在員。今年始めに入籍してからまだ10日も一緒に過ごしていないそうだその他にもテニスをして遊んでいるときにアキレス腱を切ってドイツで手術を受けたはいいが、術後何故か病室に看護師が現れず夜になるまで放置されたという奇妙な体験談もあった。でもまあ、なんやかんや言って僕の強制退去が一番ひどいけれど(笑)
 
 コロナワクチンが開発されたところで抗体反応が持続しない可能性はやっぱり否定できないみたいで、もしそうだったら世界は一体どうなるんだろう?? 若い人でも感染したら後遺症が残るという恐ろしい話もある。何が本当なのか分からない。近頃はドイツも少しずつ日が短くなってきた。あの長くて暗い(そして恐ろしく寒い)冬が近づいてきていると思うとなんだかぞっとしてしまう。

映画)ゲット・アウト__ジョーダン・ピール__2017

ゲット・アウト(字幕版)

ゲット・アウト(字幕版)

  • 発売日: 2018/01/19
  • メディア: Prime Video
 

 またホラー映画なんだけど、これも面白かった。ひとつ気になるのは上の広告画像。。これなんとかなりませんかね。せっかく良い映画なのに、これじゃふざけてると勘違いする人がいると思う(笑)

 幽霊が出て来たり、驚かす系のホラーではなく、主に人間の表情とか音楽で不気味な雰囲気を作り出していて、終始本当に怖かった。この映画のこと今まで知らなかったけど、(ホラーでは珍しく)アカデミー賞脚本賞を獲るほど注目を浴びた作品らしい。ジョーダン・ピールはもともとアメリカの人気コメディアンで、映画に関しては本作が監督デビューにあたるということだ。

 主人公はすぐに招かれた家の異常さに勘づくんだけど、訳が分からないことが起こるばかりで、そこにいる人々が何を企んでいるのか、(観ている側にも)ずっと分からないまま話が進む。そして中盤以降にあることをきっかけにそれまでのプロットが一気に線になって繋がる。一番ぞっとしたのは、主人公が信頼しきっているある人が実は裏切り者であることに気づくシーン。人間ってここまで残酷な脚本を生み出せるんだなぁって、もうほとんど感動のレベル(汗)

 全編を通して白人と黒人の対立がテーマになっていて、アメリカでのこの問題の根深さがリアルに伝わってくる。自身もアフリカ系であるジョーダン・ピールの経験や思いが少なからず反映されているのだろう。黒人に向かって「私はオバマ大統領を支持していてね。。」と滔々と語る"自称リベラル白人"がどんなにいやらしいものか、僕にも分かるような気がした。