脱力系ぷかぷかドイツ日記

脱力系ぷかぷかドイツ雑記帳

ヘッセン州の田舎町でデジカメの開発してます

思いつくままに、近況LOG!

今日は思いつくままに最近のことを書いていきます!

ドイツに来て以来お気に入りとなっている自然公園↓ 引越したせいで少し遠くなってしまったけど(以前はこの公園の真裏に住んでいました)、今でも週に1回位は必ずここへ来て散歩してます。最近はいい感じで秋らしい景色を楽しめます。

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公園の横にあるスーパー「REWE」↓ REWEには量り売りの惣菜コーナー(と呼んでよいものか)があるので、僕は数ある大手スーパーの中で一番好きです。本当にいつもお世話になっております

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強制退去させられたアパート笑↓ ふと懐かしくなって行ってみたら、僕が前住んでいた部屋はすでに新しい人が住んでいるみたいでした。オーナーが居たら殴ろうと思っていたのですが、残念ながらいらっしゃいませんでした

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去年中古で買ったVW POLO↓ 今月ワイパーの交換のためにディーラーに車を持って行ったとき、ワイパー以外にエンジンとエアバックに不具合が見つかりました。危ない。。今回身にしみて感じたけどやっぱり中古で買うならそれなりのリスクを覚悟をしといた方がいいですね。結局トータル3日間の大手術+クリーニングが施されピカピカになって戻ってきました。外観の美しさだけが自慢の車。もう実は走行距離11万キロ超えているのだけれど。

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今月もう一つショックだったのは朝寝ぼけていて買ったばかりだったガラステーブルにぶつかり倒してしまったこと↓ あとから気付いたのですが、この時テーブルの上に乗っていたグラスも一緒に砕け散ったようです。テーブルと同じような色だったからわからなかった。。

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んで、テーブルがないと困るのでまた似たようなのを買いました↓(出費つらい)。そしてグラスもAmazonで注文したのだけれど、1個だけ買うつもりがミスってまさかの6個入り(笑) こんなにいらん。。

※一個取り出されていますが、今ビールを飲みながらこの記事を書いているからです

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最後は最近購入した便利グッズについて↓ こちら体に巻きつけて使うジョギング用のライトになります。いつも街灯のない完全な暗闇の中をジョギングしているのですが、毎度命の危険を感じるので思い切ってライトを購入してみました。(といってもそんなに高くはなく20ユーロぐらいで買えます。) 胸元からLED光で前方を明るく照らすだけでなく、後ろから近づいてくる車などに自分の存在を知らせる三角灯までついている優れモノ。特に冬場は日が短いので、ジョギング好きの人にはおススメです(まだ一度も使ってないですが)

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本)断片的なものの社会学__岸政彦__2015

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

  • 作者:岸政彦
  • 発売日: 2016/02/26
  • メディア: Kindle版
 

 戦後沖縄史・生活史を専門とする社会学者、岸政彦によるエッセイ。社会学者といっても岸氏の場合アカデミックの温室の中でぬくぬくやっているような方では全くなく、研究のために被差別部落や性的マイノリティ、やくざの絡むアングラな現場まで自分で出向いて取材している。本書ではそんな著者が見聞きしてきたこの世界の断片──どうにも分析・解釈できず研究からはみ出してしまった諸々──をテーマを統一せず思いつくままに言葉にしていく。「普通の人間」など存在しない、「人のあるべき姿」という虚像に縛られる必要は無いのだと、そう実感できる本だ。

 印象的だったのは20世紀アメリカ人作家のヘンリー・ダーガ―についての文章。ダーガ―は今でこそアウトサイダー・アートの巨匠と呼ばれ有名になったが、生前は貧しい清掃作業員に過ぎなかった。なぜ彼が死後今ほど有名になったかというと、アパートの管理人がダーガ―の死の直前に彼の著作『非現実の王国で』を彼の部屋で偶然発見したからだ。驚くべきことにそれは1万5千ページを超える世界最長のファンタジー小説だった(もちろんただ長いだけでなく、その芸術的価値も高いものだった。)。幼い頃大人達に虐待を受け成人してからも周囲に変人扱いされていたダーガ―は、誰にも口外することなく、狭いアパートで60年間にわたって一人きりで作品を作り続けていた。そしてそれはそもそも誰かに読まれることを意図されたものではなく、彼が生きるための場所として創造された”もう一つの世界”そのものだった。膨大なガラクタが積み上げられた部屋の持ち物の処分について管理人から問われた際、ダーガ―は「捨ててくれ」と答えたそうだ。

映画)港町__想田和弘__2018

minatomachi-film.com

 

 岡山県牛窓の日常を綴ったドキュメンタリー。高齢化の進む港町での人々の暮らし、美しい海や空、町並みをモノクロの映像で描いている。BGMもなく静かな割に、強い印象が残る映画だ。

 想田和弘は自らの作品を「観察映画」と呼び、その方法論を実践しているドキュメンタリー作家だが、彼が掲げる「観察映画の十戒」はとてもユニークなものだ。(個人的に6番がすばらしいと思う)

(1)被写体や題材に関するリサーチは行わない。

(2)被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、(待ち合わせの時間と場所など以外は)原則行わない。

(3)台本は書かない。作品のテーマや落とし所も、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。

(4)機動性を高め臨機応変に状況に即応するため、カメラは原則僕が一人で回し、録音も自分で行う。

(5)必要ないかも?と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。

(6)撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。「多角的な取材をしている」という幻想を演出するだけのアリバイ的な取材は慎む。

(7)編集作業でも、予めテーマを設定しない。

(8)ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。それらの装置は、観客による能動的な観察の邪魔をしかねない。また、映像に対する解釈の幅を狭め、一義的で平坦にしてしまう嫌いがある。

 

(9)観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。

 

(10)制作費は基本的に自社で出す。カネを出したら口も出したくなるのが人情だから、ヒモ付きの投資は一切受けない。作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはアリ。

引用元:想田和弘 | Kazuhiro Soda

 

 そもそも『港町』の映像は、映画にするつもりで撮られたものではなかったらしい。想田監督が別の用事で牛窓に行ったときに回していた動画にいろいろな偶然が重なって素材が揃ったため、後から映画化が企画された。そのためか事前に計画された場合撮影を省略するであろう人々の生活のディティールが映り込んでいて、この作品独自の魅力になっている。

 例えば朝魚屋の営業準備の様子をずっと撮っているシーン。手際よく魚の下処理(内臓抜き等)が為され、パック詰めされ、店頭に並んでいく。こんなものどこにでもある光景なのだろうが、なぜかもの凄く心動かされてしまう。

本)一人称単数__村上春樹__2020

一人称単数 (文春e-book)

一人称単数 (文春e-book)

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2020/07/18
  • メディア: Kindle版
 

 村上春樹6年ぶりの短編集。読み進めるほどに現実と虚構の境界がぼやけていく。

 人生は選択の連続で、右か左か選ばないといけない場面は頻繁に訪れる。もし右に行けば、右に行った自分が現実の自分になるけれど、"左に行くはずだった自分"も観念として自分の中に生きている。そして良くも悪くも現実の自分に影響を及ぼし続ける(誰しも経験があるだろう)。昔の記憶や思い出だって、もう二度と繰り返されることはないのだから、現在から見れば単なる観念であるとも言える。そう考えると現在の自分が主観的に世界を捉え生きているような気がしても、実は観念的な自分も時空を越えていくつも存在していて、それぞれが一人称的に世界を捉えている。そしてその合成物として立ち上がる世界(=今、目の前にあるこの世界)もまた時に現実か観念か曖昧なものだ。

 自分でも何書いてるのか分からないけど(笑)、『一人称単数』というタイトルの由来はそんな感じかなあ、、?

 『村上ラジオ』で聞いた話だけれど、村上春樹は眠っているときに全く夢を見ないらしい。その事を心理学者の河合隼雄氏に相談したところ、「起きながらにして夢を見るのが、小説を書くという事なんじゃないか。だから代わりに寝ている時は夢を見ないんじゃないか」とコメントしたそうだ。なかなかトリッキーな発想である。

 

 この本にある全8編のうち、『ヤクルト・スワローズ詩集』だけ村上春樹自身の体験に基づいて書かれたエッセイのような構成になっていて、スワローズファンとしての彼の遍歴が綴られている。今も昔も頻繁にスワローズの試合に足を運んでいる彼にとって、東京で家探しをするときの条件は神宮球場に近いことらしい(笑) 大学生の頃から一人で神宮球場に行って当日券を買い、外野席でビールを飲みながら試合を観戦していたとのことだ。芝生に寝転んで時々あてもなく空を見上げては幸せを感じていた、らしい。なんかいいね(笑) そして、彼は28歳の時にいつものように芝生に座ってスワローズの試合を眺めているときに「そうだ、小説を書いてみよう」といきなり思い付いたのだ。そこから全てが始まった。これぞ自由人といったエピソード。小説家にとって、自由というのは重要な才能の一つなのかもしれない。

ゆっくり時間をかけて進んでいく

 ドイツ含む欧州では本格的にコロナ感染の第二波がやって来て、会社の決定で今週から週に1日か2日しかオフィスに入れないことになった。年末に日本に帰国できたらいいなとか思っていたが甘かった。もうそんなレベルじゃない。近隣のフランクフルトも感染者の多い”ホットスポット”になってしまっていて、いつまた政府から追加措置が発表されるかという状況になってきた。
 
 驚くべきことに知り合いの日本人の駐在員達はそれでも年末に帰国しようとしている(!) 渡航後14日間の隔離と日本在住の方々の反感を買うリスクを覚悟の上で。まあ、気持ちはよく分かる。年末を逃したら次にいつ日本の家族に会えるか分からないからね。
 
 
 ずっと家にいると、考えなくてもいいネガティブなことを考えてしまうのがつらい。理由もなく自分が責められているような気分になることがある。そんな時は「騙されるな、俺はちゃんとやるべきことをやっている!」と頭の中で叫んで、自己肯定の気持ちを持ち直すようにしている。そして大事なのは無理はせずできるだけ淡々と過ごすこと。時間が止まってしまったような毎日でも健全にエネルギーを発揮してさえいれば、ちゃんと前進しているのだから。
 
 会社で受けさせてもらっていた週1のドイツ語レッスンもコロナのせいで完全にストップしてしまったけれど、独学で少しずつ勉強を続けている。週に2、3時間程度しか時間が取れないから成長なんてほとんど(というか全く)感じられないけれど、「焦らず一歩一歩進む」と腹を決めてしまえば勉強は本当に楽しい。勉強に限らず人間関係でも何でもそうだが、ゆっくり時間をかけて変わっていく(形になっていく)のは何よりも楽しいことだ。
 
 
 最近ホームオフィスの環境をちゃんと整えようと思い立ってドッキングステーションを導入してみたら超便利! 既に使ってる人も多いと思うけど、ケーブル一本でPCを電源やモニター、キーボードなどあらゆるデバイスに繋ぐことができるアレです。PC2台持ちの場合、USB分離器を介せばボタン1つで使用するPCを切り替えられるので超快適。自宅勤務中の会社員の多くは自宅用と会社用でPC2台持ちになったはずなので、まだの人は導入しない手はない、はず。

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 あと今まで使ってた安物掃除機が壊れたので、めっちゃ高かったけど奮発してダイソンのワイヤレス掃除機も買った。これも軽くてめちゃめちゃ使いやすい。前から欲しかったのでうれしい~

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映画)ジョーカー__トッド・フィリップス__2019

wwws.warnerbros.co.jp

 『バッドマン』のヒール役である”笑う殺人鬼ジョーカー”が如何にして誕生したのか、その経緯を描いた作品。話題になっただけあって、ものすごかった。めちゃくちゃ残酷でびっくりした。。

 主人公は売れないコメディアン。いつか大きなステージに立つことを夢見ながら、アルバイトの収入で暮らしている。彼の”人生の目的”は「人々に笑いと喜びを届けること」。しかしちょっとした不運が重なり仕事を解雇され、しまいには地下鉄内で揉め事に巻き込まれた際同僚からもらった銃で乗客を撃ち殺してしまうーー

 ジョーカーの衣装デザインもアメリカの街並みも色彩が冴えわたっていて、とにかく映像がかっこいい。

 アメリカの貧困層と富裕層の対立をテーマにした社会性の高い内容で、仕事柄ピエロの格好をしている主人公がそのままジョーカーの姿に変貌していく辺りはバッドマンの原作コミックとは異なったストーリーになっている。(原作で描かれるジョーカーの起源は、工場の中でバッドマンから逃げ回っている時に、化学溶液の中に飛び込むというもの。そして顔の皮膚がはがれ、口が裂け、あの顔になった。)

 2012年にジョーカーに影響を受けた銃乱射事件が発生したせいで(オーロラ銃乱射事件 - Wikipedia)、本作も2019年の公開当時非常に警戒されたようだ。売れない道化師が社会から見捨てられ、狂気を抱いたジョーカーに顔も心も変貌していくというオリジナルのストーリーは社会への問題提起なのだろう。実際本作でも、爆破予告が届いたために上映中止となった映画館もあったらしい。物語の力というのは凄まじいものだ。

本)コンビニ人間__村田沙耶香__2016

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 社会との接点はコンビニのバイトのみ、という状態でずっと生きてきた独身女性の話。そのまま30代後半に突入した彼女は周囲の人間達から恋愛や就職の経験がないことを責め立てられる。言うなれば、普通の人間達からの同調圧力がこの本の主題だ。

 

 でも良く分からないのだが、この主人公が周りから言われているようなこと、つまり「男は働いて家族を養って当たり前、女は結婚して子供を持つのが当たり前。それに当てはまらない人間は欠陥品」という同調圧力は今もなお現代人に(わざわざ小説のテーマにすべきほどに強く)かかっているのか?? かくいう僕も独身だけど、そんな圧力は全く感じない(鈍いだけかもしれないが)。というか逆に、今は日本人でも「結婚なんてしたくない」と堂々と発言する人も出てきたし、生き方の多様性を社会が認知し始めているように感じるのだけれど。というわけで、主人公が周りから責め立てられる部分の描写は正直少し時代錯誤の印象を受けた。

 

 一方、中村文則のあとがきで面白かったのが、現在は文芸業界でも最後に赤ちゃんが生まれて丸く収まるパターンの物語が量産されているという話。(彼はそのような結末を皮肉を込めて”ベビーエンド”と呼んでいるそうだ。うまい。)時代が変わったとはいえ未だ多くの人が、結婚して子供が生まれてこそ感動的な人生、という思い込みを持っているのかもしれない。そのことを口に出す、出さないの差はあっても。

 

 この本がベストセラーになったということは、主人公と同じような生きづらさを抱えている人が日本に大勢いるということなんだろうか。世界中で翻訳出版されているらしいけれど、個人主義が強い国では理解されないのではないかと思う。

 

※あ、この小説自体は大変読みやすい文章で書かれており、随所に冴えたセリフ・心情描写があり、飽きずに最後まで楽しめました