脱力系ぷかぷかドイツ日記

脱力系ぷかぷかドイツ雑記帳

ヘッセン州の田舎町でデジカメの開発してます

マイノリティとして生きること

 最近のコロナ騒ぎの中でふと思い出したのは、昔読んだ阪神淡路大震災の後の幸福度調査に関する記事についてです。これは不思議な話なのですが、震災が起きた後被災者達にアンケートをとったところ震災前の日常に比べて幸福度が向上したという調査結果が出たらしいのです。それに対し専門家がどんな考察をしていたかまではもう忘れてしまったけれど、私が思うに避難生活や復興作業を通して普段は感じられなかった人の温かみに触れられたからではないかと予想しています。もちろん震災の被害は甚大でしたしそんなことは起きないに越したことはないのですが、互いに痛みを分かち合える者同士が協力して作業を進めていく過程で絆が生まれるというのは分かる気がします。

 別に天災や疫病の被害に合わなくても、自分が苦しいときに誰かが言ってくれた何気ない励ましがその後の人生を支えるかけがえのない言葉になることがあります。特に私自身の経験から思うのは、社会的弱者・マイノリティ(天災にあうことはもちろん、病気、身体的コンプレックス、LGBT等々なんでも)の立場にあり自分ではどうしようもない問題に苦しむ人は、自分と同じ問題を抱える誰かを見つけたらその人に親近感を感じ、その人の言葉に耳を傾けるようになる、ということです。また、その人が世の中で活躍すれば自分のことにように勇気をもらえるものです。

 私の場合、大学生の頃にTVで偶然見かけたある研究者のことを今でも心の支えにしているところがあります。当時の私は数か月前に受けたある手術の後遺症のことで非常に落ち込んでいました。今思えば大したことないのですが、この障害と一生付き合っていかなくてはならないと思うと当時の若い自分にとってはどうしても受け入れられませんでした。その番組では私と似た障害、というかもっとずっと重度の障害を持ちながらも世界の第一線で活躍する研究者を取材していて、その方は同じ障害をもつ人達のためのバリアフリー技術を研究している、ということでした。その方の目標に向かってまっすぐに生きる姿や、言葉の隅々に宿る純粋な魂のようなものはあの日の私にとって暗闇に差す光そのもので、食い入るようにその番組を見ました。自分はひとりじゃないと思えたことが何よりうれしかったです。私の場合、そこまで追い詰められてようやく世界と繋がったという気がしました。あの日から十数年が経った今でも私は(もう誰も覚えていないであろう)そのドキュメンタリー番組のことを度々思い出すのです。

 会ったこともないその研究者が今もどこかで生きている、と思うだけで腹の底からエネルギーが沸いてくるこの感じ。こんな風に尊敬する人と日々の生活の中で出会えた人は幸せですね。でもそれが私が経験したようにTVの向こう側の人でも、あるいは好きな本の著者でも、YouTuberでも、どんな形で出会ったっていいと思います。たとえその尊敬の念が一方通行で生涯伝わらないとしても、心の中で共に生きていくという感覚です。そんな風に本を読み、人と話し、ネットを徘徊し、世界を見つめて生きていけたらいいと思っています。(ちなみに会ったこともない誰かを尊敬しその人に学ぶことを古い日本語で私淑(ししゅく)する、というそうです。)

 今のコロナパンデミックの混乱の中で、ヨーロッパだけでなくアメリカでもアジア系移民(特に中国人)が差別を受けている、と報道されています。第二次世界大戦前の雰囲気に似ている、という恐ろしい書き込みもありました。私にとって他人ごとではないし、同じ境遇の人達で協力してこの状況を乗り切るしかないと思っています。今辛い思いをしている人は少しでも自分の気持ちを誰かに伝えてみれば共感してくれる人も出てくるかもしれません。マイノリティとして弱い立場に立たされた時に大事なことは、”そういう時にしか見えないものがある”と考えることです。